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本多政養 : ミニ英和和英辞書
本多政養[ほんだ まさやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

本多政養 : ウィキペディア日本語版
本多政養[ほんだ まさやす]
本多 政養 (ほんだ まさやす、明和2年(1765年)- 天保9年(1838年)) は、加賀藩家老、人持組本多図書家第4代当主。
父は本多政康。養子は本多政守。通称は貞五郎、勘解由。家紋は「丸ノ内本ノ字」。
== 生涯 ==
加賀藩家老本多政康の子として生まれる。寛政9年(1797年)父の隠居により家督と知行1万300石を相続。享和元年(1801年)父の死去によりその隠居領700石も相続。享和3年(1803年)家老となる。藩主前田斉広を補佐して八家を凌ぐ権勢を誇ったが、文化9年(1812年)家老を免じられる。文政6年(1823年)弁舌で理を非となして、藩政に害を与え、不忠であるとの理由で、3000石を減じられ逼塞を命じられる。後許される。天保7年(1837年)隠居して家督を養子の政守(本家本多政成の子)に譲る。
天保9年(1838年)死去。享年74。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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