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有栖川宮威仁 : ミニ英和和英辞書
有栖川宮威仁[ありすがわのみや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [う, ゆう]
  1. (n,vs) possession 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [にん, じん]
 (n) kernel

有栖川宮威仁 ( リダイレクト:有栖川宮威仁親王 ) : ウィキペディア日本語版
有栖川宮威仁親王[ありすがわのみや たけひとしんのう]

有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう、1862年2月11日文久2年1月13日) - 1913年大正2年)7月5日)は、日本皇族軍人。官職は軍事参議官称号階級元帥海軍大将勲等大勲位。功級は功三級
有栖川宮幟仁親王の第四王子(男女合わせた王子女の中では八人目、但し成人した男子は熾仁親王と威仁親王だけ)で、生母は家女房の森則子。熾仁親王は異母兄。 幼称は稠宮(さわのみや)。 妃は加賀金沢藩前田慶寧の娘・慰子(やすこ)。
== 生涯 ==

=== 幼年期 ===
1862年2月11日(文久2年1月13日)、京都において誕生、稠宮と命名された。父・幟仁親王にはすでに熾仁親王という嫡子がいたため、稠宮は然るべき年齢に達した後に妙法院門主を相続することが内定した。しかし、明治維新による諸制度の変革で宮門跡の制度が廃されたことから、1871年明治4年)に稠宮の妙法院相続の内定は取り消され、明治天皇によって幟仁親王が東京への転居を命じられたのに従い、稠宮も上京した。
1874年(明治7年)7月8日、参内した稠宮は明治天皇から海軍軍人を志すよう命じられ、同月13日、海軍兵学寮予科に入学した。1876年(明治9年)、前田慰子と婚約。
1877年(明治10年)、鹿児島県逆徒征討総督として九州赴任中の熾仁親王からの呼び出しにより、稠宮は船で鹿児島に赴き、熾仁親王と共に西南戦争の戦地跡を視察した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「有栖川宮威仁親王」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Arisugawa Takehito 」があります。




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