翻訳と辞書
Words near each other
・ 月亭八方
・ 月亭八方の楽屋ニュース
・ 月亭可朝
・ 月亭天使
・ 月亭太遊
・ 月亭小文都
・ 月亭文都
・ 月亭文都 (2代目)
・ 月亭文都 (7代目)
・ 月亭方正
月亭春松
・ 月亭生瀬
・ 月亭連方
・ 月亭遊方
・ 月亭邦正
・ 月亭都勇
・ 月亮島
・ 月代
・ 月代り
・ 月代彩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

月亭春松 : ミニ英和和英辞書
月亭春松[つきてい はるまつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つき]
  1. (n-t) moon 2. month 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 

月亭春松 : ウィキペディア日本語版
月亭春松[つきてい はるまつ]
月亭 春松(つきてい はるまつ)は、上方噺家。『落語系圖』の編者。本名は植松秀一郎。生没年不詳
明治初期頃の生まれで1892年1月15日2代目月亭文都門下となり、春松を名乗る。1893年11月には京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに、1894年以降、東京や京都で歌舞伎新派の劇団にも所属し、役者として活動するが、1913年7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)門下で小夢、1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。師匠の死後は2代目桂文團治7代目桂文治)の預かり弟子となり、後、再び月亭春松を名乗る。初め三友派に所属、文當を名乗ってからは自ら都三友派を組織したり京都に出向いたりなどした後、浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていないので、恐らく、その頃には落語を廃業していたと思われる。没年は昭和初期。
== 『落語系圖』について ==
1929年に出版された『落語系圖』は、戦前の上方落語の資料としては、数少ない体系だった資料である。前半は江戸・上方落語の諸流系図を、後半は鳴物のきっかけ表、出番表、席亭・落語家の肖像などを掲載している。写真資料が豊富なのも特徴である。
3代目桂米朝は、その著書『上方落語ノート』p266 において、次のように述べている。''「『落語系図』は貴重な本だが書き方が乱雑で、古い時代のことは今日の辞典のようなつもりで簡単に引用すると、とんでもない間違いを仕出かすことがある。誤りも少なくない。前後矛盾もあるし、要注意の資料であるが、しかし上方落語史において大事なものであることは間違いない。」''
『落語系圖』は、名著刊行会から1965年1979年の二度、復刻されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「月亭春松」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.