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最南端到達の歴史 : ミニ英和和英辞書
最南端到達の歴史[さいなんたんとうたつのれきし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さい]
  1. (n,pref) the most 2. the extreme
最南 : [さいなん]
 (n,adj-no) southernmost
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南端 : [なんたん]
 (n) southern tip
: [はし]
 【名詞】 1. end (e.g., of street) 2. edge 3. tip 4. margin 5. point
到達 : [とうたつ]
  1. (n,vs) reaching 2. attaining 3. arrival 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

最南端到達の歴史 : ウィキペディア日本語版
最南端到達の歴史[さいなんたんとうたつのれきし]

最南端到達の歴史(さいなんたんとうたつのれきし)は、探検家などが地球上で到達した最も南()の記録を塗り替え、1911年南極点が征服されるまでの歴史である。南極点到達までの画期的な出来事としては、1619年のホーン岬より南の陸地の発見、ジェームズ・クック船長による1773年の南極圏突入、1820年の最初の南極大陸視認があった。19世紀終盤からは最南端の探求がそのまま南極点到達に向けた競争になり、1911年のロアール・アムンセンによる南極点征服で頂点に達した。
極点に達することが現実的な目標となる前の時代は、他の動機が冒険者たちを南に惹きつけていた。当初の推進力は、ヨーロッパ極東の間の新しい交易ルートの発見だった。そのルートが確立され、地球上の主要な地形が大まかに地図化された後、商業的冒険の魅力の先は、伝説上南に隠れているとされた「テラ・オーストラリス」という肥沃な大陸だった。この想像上の豊かな大陸が存在するという信念は18世紀に入っても継続しており、南極海にある陸地が寒く厳しい環境にあるという事実が緩り明らかにされていっても、探検家達はその事実をなかなか受け入れられなかった。
1771年から1774年に行われたジェームズ・クックの航海は、未踏の大地が人には敵対的な性格を持っている可能性が高いことを決定的に示すことになった。このことで19世紀の前半には、交易ではなく探検と発見の方に目的が移って行った。1899年南極大陸で初めて越冬を経験した後、南極点に達するのが現実的な見込みとなり、極点到達の競争が始まった。この競争に関してはイギリスが傑出しており、南極探検の英雄時代におけるロバート・ファルコン・スコットアーネスト・シャクルトンの競争が特筆される。シャクルトンが南極点の寸前で失敗した後、スコットが1912年1月に到達したが、既にノルウェー人のアムンセンが到達していたことを発見することになった。
== 初期の航海 ==

1494年、当時の世界の海洋強国ポルトガルスペイントルデシリャス条約に調印して、大西洋の真ん中で地球を東西に分ける線を引き、それより東の交易ルートはポルトガルに割り当てられた。その結果、当時唯一知られていた東洋への航路である喜望峰回りでインド洋に至るルートはポルトガルが支配し、スペイン、さらに後には他の国は西回りで太平洋に出るルートを探すことになった。このようなルートの探索の一部として南への探検が始まった〔Knox-Johnston, pp. 20–22〕。
北極とは異なり、大航海時代以前に南極あるいは周辺の島に人が訪れたあるいは住んだという証拠は無い。しかし、南アメリカの最南部には既にセルクナム族(オナ族)、ヤーガン族(ヤマナ族)、アラカルフ族、ハウシュ族など人が住んでいた。特にハウシュ族はティエラ・デル・フエゴの本島から29 km 離れたエスタドス島に定期的に通っており〔、このことは彼らの中にはホーン岬に近い諸島にたどり着くことができた者がいる可能性を示唆している。またフエゴ島人の人工物やカヌーの名残がフォークランド諸島で発見されており、さらに長い航海を行った可能性があると見られる。
ティエラ・デル・フエゴの先住民が実際に海洋を渡る旅が出来なかったとしても、ポリネシア人はそれができた。ポリネシア人がニュージーランドの南にある亜南極の島の幾つかを訪れた証拠がある。ただしそこは南アメリカの南端よりも南極から遠い。制作時代も場所も不明な土器の欠片が1886年にアンティポデス諸島で見つかっており、オークランド諸島エンダービー島では13世紀に遡ることのできるポリネシア人入植地の名残がある〔O'Connor, Tom ''Polynesians in the Southern Ocean: Occupation of the Auckland Islands in Prehistory'' in New Zealand Geographic 69 (September–October 2004): 6–8)〕〔Anderson, Atholl J., & Gerard R. O'Regan ''To the Final Shore: Prehistoric Colonisation of the Subantarctic Islands in South Polynesia'' in ''Australian Archaeologist: Collected Papers in Honour of Jim Allen'' Canberra: Australian National University, 2000. 440-454.〕〔Anderson, Atholl J., & Gerard R. O'Regan ''The Polynesian Archaeology of the Subantarctic Islands: An Initial Report on Enderby Island'' Southern Margins Project Report. Dunedin: Ngai Tahu Development Report, 1999〕〔Anderson, Atholl J. ''Subpolar Settlement in South Polynesia'' Antiquity 79.306 (2005): 791-800〕。マオリ族の伝説では650年頃にウイ・テ・ランギオラがワカ・トワイの艦隊を率いて南に向かい、「岩のような構造が海から立ち上がる酷く寒い場所」に達したとされている〔Fathom Expeditions – Spirit of Shackleton 〕。この簡潔な記述はロス棚氷やことによると南極大陸本土とも整合しているように思えるが〔All About Antarctica | ANDRILL 〕、単に南極海で見られる氷山や叢氷だった可能性もある〔The Left Coaster: freeze frame 〕〔Ui-te-Rangiora (Polynesian explorer) – Britannica Online Encyclopedia 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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