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曹純 : ウィキペディア日本語版
曹純[そう じゅん]

曹 純(そう じゅん、?〔生年は170年174年などの説がある。『英雄記』の記述によると「純は20歳で太祖(曹操)に従い襄邑に赴き…」とあり、これは曹操が封邱(ふうきゅう)で、袁術を攻撃した193年に当たる。それに従えば174年生まれとなる。〕 - 210年)は、中国後漢末期の武将。子和〔『英雄記』〕。豫州沛国譙県(安徽省亳州市譙城区)の人。祖父は曹褒(字は伯興・仲興・叔興がある、穎川太守)〔『魏書』〕。父は曹熾(字は元盛〔曹操一族の墳墓から、「長水校尉曹熾字元盛」と描かれたレンガが出土した。 安徽省亳県博物館「亳県曹操宗族墓葬」『文物』8期、1978年、p33。〕、侍中・長水校尉〔『魏書』〕)。同母兄は曹仁〔『英雄記』〕。従兄は曹操。子は曹演。孫は曹亮。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」に記述がある。
==一族==
祖父は、曹操の養祖父曹騰の兄であり、曹操と同族であるが血縁関係がない。
1974年から1977年にかけて、安徽省亳州市亳県(漢代の沛国譙県)の城南一帯で古墳群が発掘(曹氏公園と名づけられる)された。 調査の結果、この古墳群は曹一族の墓と判明した。それによると「大長秋曹騰、会稽曹君(曹胤)、故潁川太守曹褒、長水校尉曹熾、呉郡太守曹鼎…」と曹一族の名が記されている〔『水経注』によると、譙県に曹騰の兄の墓があり、その碑文には「漢の潁川太守曹君(曹褒)は、延熹9年(166年)に没した」および「(子の曹熾は)大中大夫・司馬・長史・侍中を歴任し、長水校尉に昇進して、39歳で没した」と記されているとある。また熹平6年(177年)、曹褒の子で曹熾の弟である曹胤(曹純の叔父)が埋葬され、その碑文に「漢の謁者(曹胤)、熹平6年に没した」と記されているとある。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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