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春日野八千代 : ミニ英和和英辞書
春日野八千代[かすがの やちよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [やつ]
 (num) eight
八千代 : [やちよ]
 【名詞】 1. eternity 2. thousands of years 
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
千代 : [ちよ]
 【名詞】 1. (1) thousand years 2. (2) very long period 3. forever
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

春日野八千代 : ウィキペディア日本語版
春日野八千代[かすがの やちよ]

春日野 八千代(かすがの やちよ、1915年(大正4年)11月12日 - 2012年(平成24年)8月29日)は、宝塚歌劇団専科に所属した男役。劇団名誉理事も務めた。元星組雪組花組主演男役クラス。元雪組組長。本名、石井 吉子(いしい よしこ)。愛称、ヨッちゃん
兵庫県神戸市出身。芸名の「春日野」琵琶歌の歌詞の一節から、「八千代」は「君が代」から取り命名。戦前戦中戦後にかけてさまざまな作品を残し、端整な美貌から「白薔薇のプリンス」「永遠の二枚目」の異名を取るなど、人気男役スターとして一世を風靡した伝説の二枚目男役。
亡くなるまで、宝塚歌劇団の現役生徒(団員)であり続け、宝塚歌劇団の歴史上で最年長の生徒であった。
== 来歴・人物 ==
1928年(昭和3年)宝塚音楽歌劇学校(当時、音楽学校と歌劇團は一体である)に入学、翌年の1929年(昭和4年)に「春のをどり」で初舞台。入団時の成績は51人中37番〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、15頁。ISBN 9784484146010〕。
宝塚歌劇団18期生。同期生には葦原邦子冨士野高嶺花柳祿春)ら、一期下には神代錦園井恵子桜緋紗子らがいる。入団当初娘役だったが身長(当時の日本人女性としては長身である)の問題などがあり早くに男役に転向した。
月組、ダンス専科、月組を経て、1933年(昭和8年)に誕生した星組に移動。雪組、花組、雪組を経て、1940年(昭和15年)雪組副組長、1945年(昭和20年)雪組組長、1949年(昭和24年)歌劇団理事に就任し、天津乙女と共に「宝塚の至宝」と呼ばれる。1950年(昭和25年)より演劇専科に所属。歌劇団史上、珍しい全組在籍経験者でもある(4組体制時代)。
相手役を演じた娘役としては、糸井しだれ深緑夏代月丘夢路浅茅しのぶ朝倉道子新珠三千代八千草薫有馬稲子鳳八千代浜木綿子扇千景加茂さくら梓真弓上原まり松本悠里等が挙げられるが、特に、乙羽信子とのコンビはゴールデンコンビと呼ばれる。
淡島千景とは、淡島の現役生徒時代には、共演する機会がなかったが、1997年(平成9年)に「アデュー東京宝塚劇場」で初の共演を果たしている。
男役としても活躍した、故里明美明石照子寿美花代淀かほる那智わたる等も女役として相手役を務めている。
主演作品は多数あるが、1951年(昭和26年)に初演の「虞美人」の項羽1952年(昭和27年)に初演の「源氏物語」の光源氏が最大の当たり役として挙げられる。なお、「源氏物語」の光源氏に対し、伊東深水は「最も源氏らしい源氏」、花柳章太郎は「春日野源氏」、長谷川一夫は「ヨッチャンの源氏には負けた」とそれぞれ評した。
1956年(昭和31年)「ローサ・フラメンカ」、天覧公演となった1958年(昭和33年)「光明皇后」を初めとして演出も手がける。しかし、いろいろな面で演出を職業とすることにはネックがあり諦めたと、後日、本人が語っている。
1939年(昭和14年)アメリカ公演、1966年(昭和41年)第4回ハワイ公演に参加するとともに、1961年(昭和36年)にはヨーロッパ演劇視察のため渡欧している。
外部出演も多く、長谷川一夫、二代目尾上松緑山田五十鈴らと共演しているが、女役が精神的に重荷であるため、1981年(昭和56年)以降は一切断っている。また、「花柳舞踊研究会」、「三世花柳壽輔襲名披露」、名古屋をどりなど日本舞踊の舞台にも出演している。
1964年(昭和39年)兵庫県文化賞を受賞。1979年(昭和54年)紫綬褒章を受章。1984年(昭和59年)宝塚市文化功労賞を受賞。1986年(昭和61年)勲四等宝冠章を受勲。1999年(平成11年)宝塚市名誉市民に。2006年(平成18年)兵庫県高齢者特別賞を受賞。
晩年まで祝典公演への特別出演と「宝塚舞踊会」を活動の中心としており、近年の宝塚舞踊会では、四世花柳壽輔(五世花柳芳次郎)振付による新作舞踊が披露されることが多かった。
2004年(平成16年)5月2日の「飛翔無限」東京宝塚劇場公演千秋楽以降、体調を崩して舞台からは遠ざかっていたが、2006年(平成18年)10月20日宝塚大劇場で行なわれた「第47回宝塚舞踊会」で約2年5ヶ月振りに舞台復帰し、大和楽「なみだ生島」を踊った。
2007年(平成19年)は1月25日に宝塚大劇場で行われた「小林一三没後50年追悼スペシャル『清く正しく美しく』-その教え護り続けて-」に出演、10月19日には、宝塚大劇場で行われた「第48回宝塚舞踊会」に前年に引き続いて出演し、長唄「振袖菊」を踊った。
2008年(平成20年)は10月24日に宝塚大劇場で行われた「第49回宝塚舞踊会」に出演し、自身のファンであり、かつて宝塚舞踊会においても共演した三世花柳壽輔を追悼して、清元「浜行平」を踊った。
2009年(平成21年)4月、1929年(昭和4年)4月の初舞台から数えて、舞台生活80周年を迎えた。同年6月15日、宝塚大劇場で行われた『宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル 百年への道』のトークコーナーにスペシャルゲストで出演。
2012年(平成24年)8月29日、肺炎により逝去〔「春日野八千代さん死去 」秋田魁新報。2012年8月29日閲覧。〕。享年96。9月26日に宝塚市の宝塚バウホールで歌劇団葬が営まれて、ファンや卒業生など約1000人が参列した。宝塚歌劇団が在籍中の生徒に対して歌劇団葬を執り行ったのは、1958年昭和33年)に宝塚大劇場で行われた公演に出演中、着用していた衣装ドレスの裾がせりの駆動部分に巻き込まれて死亡した香月弘美と、1980年昭和55年)に逝去した天津乙女に続いて3人目である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「春日野八千代」の詳細全文を読む




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