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昇斎一景 : ミニ英和和英辞書
昇斎一景[しょうさい いっけい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [いち]
  1. (num) one 

昇斎一景 : ウィキペディア日本語版
昇斎一景[しょうさい いっけい]

昇斎 一景(しょうさい いっけい、生没年不詳)は、明治時代の浮世絵師
== 来歴 ==

歌川広重の門人といわれる。姓名不詳。初めは景昇斎、後に昇斎と号す。江戸の人。歌川広重の門人・歌川広景の後名という説もある。また、一昇斎国福(歌川国福)という、広景と一景を繋ぐような名をもつ絵師もいる。一景について述べた唯一の文献は、「東京名所四十八景」の目次で、山々亭有人が記した紹介文である〔町田(1993)p.32に図版、同p.9に活字あり。〕。それによると一時、円山応挙を慕い京都へ遊歴し四条派を学び、後に画業を廃し世を避ける生活をしていたが、明治になって書房からの求めで戯画錦絵を描くようになったという。そのため広景または国福が、幕末に京で学び、明治維新後に東京で画業を再開したとも考えられるが、これを裏付ける資料はない〔清水勲 「昇斎一景の世界」(町田(1993)pp.6-7)。〕。
作画期は明治3年(1870年)から明治7年(1874年)までと短く、早世したと見られる。明治時代初期の風俗、風景を多く描いた。作品総数は不明であるが、3枚続物34点、1枚物98点、冊子・折本類6点が確認されている〔町田(1996)p.90。〕。代表作は明治4年(1871年)の「東都名所四十八景」、明治5-6年(1872-73年)の「東京名所三十六戯撰」、明治6年(1873年)の違式詿違条例絵解きした「画解(えとき)五十余箇条」。他に、滑稽味ある風俗画、風景画、東京名所の3枚続や鉄道錦絵などがあり、特に鉄道を描いた作品が散見される。画風は3代歌川広重に似ているが、人物を描くと同時に時代の風俗や空気を的確に写し出している。また、一景の作画期が明治初期に限られるため、明治政府主導の文明開化がどの程度民衆に浸透しているかを推し量る貴重な資料としても使える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「昇斎一景」の詳細全文を読む




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