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文世光 : ミニ英和和英辞書
文世光[ぶんよこう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

文世光 : ウィキペディア日本語版
文世光[ぶんよこう]

文 世光日本語読み:ぶん せいこう、朝鮮語読み:ムン セグァン、1951年12月26日 - 1974年12月20日)は、朴正煕大統領を殺そうとしてその夫人の陸英修を射殺した文世光事件暗殺者である。
大阪在住の在日韓国人で、日本での通名南条世光(なんじょう せいこう)と言ったが、北朝鮮工作員となった。
== 略歴 ==
1951年(昭和26年)大阪府大阪市東住吉区に、石綿製品製造業を営む家の三男に生まれた〔
〕。本籍慶尚南道
高校を2年で中退。大阪在日韓国人居留民団生野北支部に加入。高校の頃から「金日成選集」「毛沢東語録」などを読みふけり、左翼思想に傾倒した。
1973年9月、文は朝鮮総連大阪生野西支部政治部長の金浩竜(キム・ホリョン)と初めて接触し、韓国の大統領を暗殺して「人民蜂起の起爆剤」となれと扇動された。10月頃には、友人で後に共犯となる吉井美喜子〔に「韓国で革命を成し遂げるには朴正熙を殺すしかない」との決意を語り、1973年11月に金から50万円の工作金を受け取った。
以後、断片的にしか足跡はわからないが、1974年2月、東京都台東区東上野在住の川上勇治という偽名を名乗り、病院に入院していた。5月、大阪に停泊していた万景峰号で思想教育を受けた〔。 1974年7月17日夜から翌日早朝にかけて大阪市中央区の高津派出所の裏窓を破って侵入し、警察官4人が仮眠していた間に、実弾5発が入った拳銃2丁を盗み取った。吉井美喜子の夫であった吉井行雄〔この夫妻は文と同学年で、日本人共産主義者ならびに金日成主義者であった。〕の戸籍謄本を利用して旅券を申請して、偽のパスポートと旅券を入手した〔。8月1日、後に警察はこの日付で書かれた「戦闘宣言」と題した文書を発見する。8月6日、トランジスタラジオの中に拳銃を隠して、金浦国際空港からソウルに入った。
8月15日は韓国の光復節にあたり、韓国国立劇場で記念式典が行われることになっていたが、文はレンタカーのフォード車で乗りつけ、日本人高官になりすまして警察官の目を誤魔化し、会場に潜入した。
最初、朴正煕大統領が入場する際を狙って銃撃を試みるつもりだったが、歓迎の子供達に阻まれて接近できず、次に登壇した大統領をすぐに撃とうと焦ってポケット中で拳銃が暴発。自分の太ももを撃ち抜いた。近くにあったスピーカーの大騒音で銃声は掻き消されたが、激痛に耐えながら前進して銃の乱射を開始。2発目は演壇に命中した。これで異変に気づいた朴正煕が演壇の背後に隠れると、3発目は不発で、さらに焦った文は(意図的か誤射かは不明)朴の横の席に座っていた大統領夫人陸英修に向けて4発目を発砲して彼女の頭部右側に致命傷を与えた。直後に周囲の出席者にタックルされたが、揉み合いながら最後の5発目を発砲した。この流れ弾、または一説には警護官の応射によって、式典の合唱団員の女子高生・張峰華が被弾し、死亡した。
結果、朴の暗殺には失敗し、文世光は韓国警察現行犯逮捕された。韓国警察とKCIAは即座に北朝鮮の凶行と断じ、日本政府に対して朝鮮総連の取り締まりを求めたが、金大中事件で両国が対立した直後であり、日本政府は国内法の制限を理由に拒否した。同じく韓国は金浩竜の身柄引き渡しと、吉井夫妻の起訴を要求した。大阪地検は金浩竜を捜査したが、金は頑なに関与を否定した。大阪地検・警視庁・公安は全国的な捜査を行い、いくつかの状況証拠を集めたが、背後の北朝鮮や朝鮮総連とのつながりを解明できずに捜査を断念して、文世光事件を文の単独犯行であるとの公式見解を発表したが、この経緯については公表されておらずよくわかっていない。ただ吉井美喜子はパスポート管理法違反で起訴され、懲役3年・執行猶予1年が宣告された〔。
韓国での文世光の裁判は、文が大筋で犯行を認めていたため、一方的な非難の場となった。10月7日に初公判、19日に1審、11月20日に2審、12月17日に最高裁と、わずか2ヶ月で結審して、すべてで有罪となり死刑が宣告された。文は死刑執行を前に泣き出し、「朝鮮総連に騙された」「陸女史と死んだ女子学生に謝罪します」「私が馬鹿だった」などと涙ながらに悔恨の弁を述べ、母親に遺言を残すのが精一杯だった。事件から4ヶ月後の12月20日、ソウル拘置所で絞首刑が執行された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「文世光」の詳細全文を読む




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