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摩耶山丸 : ミニ英和和英辞書
摩耶山丸[まやさんまる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 

摩耶山丸 : ウィキペディア日本語版
摩耶山丸[まやさんまる]

摩耶山丸(まやさんまる)は、日本陸軍三井物産船舶部の名義で1942年(昭和17年)に竣工させた揚陸艦上陸用舟艇の母艦機能を有し、陸軍特殊船と呼ばれた。太平洋戦争では後方での部隊輸送に使用された。1944年(昭和19年)にヒ81船団の1隻としてフィリピンへ向かう途中、アメリカ海軍潜水艦の攻撃で撃沈され、乗船中の第23師団の将兵ら3000人以上が戦死した。
== 建造 ==
日本陸軍は、1934年(昭和9年)に建造した神州丸の成功を踏まえ、同種の陸軍特殊船の量産を計画した。しかし、平時から大型船多数を維持することは予算的に困難であった。そこで、民間船会社に補助金を交付して民間船扱いで建造させ、有事にのみ徴用する形式が採られることになった〔。その1隻として、三井物産船舶部を船主に予定して発注されたのが本船である。玉造船所(1942年1月以降は三井造船玉野工場)で1941年(昭和16年)8月27日に起工され、1942年(昭和17年)12月14日〔または19日〔に竣工した。陸軍特殊船の船名は上陸戦という用途にちなんで港を意味する「津」が付いた名前が多いが、本船は例外的に三井物産所有の商船に共通する「○山丸」式の船名を付けられている〔。
摩耶山丸は、陸軍特殊船のうち基本形の甲型に属する。外形は神州丸が軍艦に近い特異な姿だったのに対し、正体を秘匿するため通常の貨客船などに似せた姿となっている〔。しかし、船体内は上陸用舟艇を急速発進させるための全通甲板になっており、商船とはまったく異なった構造である。兵員居住区画としての使用を想定したためか、舷窓が多く設けられている〔。上甲板には船倉口が4か所設けられており、そのうち2番・3番倉口は大発動艇が収納できる大型倉口になっていた。荷役設備として、太い門型のデリックポストが4組装備されている。機関はディーゼルエンジンを使用し、スクリュー2基で航行する。輸送能力は兵員1955人を定員として設計されているが、実戦では大幅に超過した4500人を輸送している〔。
同型船として、同じ三井造船玉野工場で玉津丸が建造されている。ほかに甲型に属する特殊船としては日立造船因島工場で「吉備津丸」が建造されたが、主機が蒸気タービンエンジンで、1番・4番デリックポストが門型ではなく単脚型などの違いがある〔岩重(2009年)、102頁。〕。播磨造船所製のにぎつ丸も甲型であるが、あきつ丸と同じ航空機搭載用の丙型から仕様変更されたもので、設計が異なる〔岩重(2009年)、9頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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