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手塚貴子 : ミニ英和和英辞書
手塚貴子[てづか たかこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

手塚貴子 : ウィキペディア日本語版
手塚貴子[てづか たかこ]

手塚 貴子(てづか たかこ、1970年11月6日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元女子サッカー日本代表選手、サッカー指導者。元浦和レッドダイヤモンズ・レディース監督。現役時代のポジションはフォワード日本大学卒。2007年度、日本サッカー協会公認A級コーチライセンスを取得。U-20日本女子代表コーチナショナルトレセンコーチも務めた。
== 来歴 ==
小学3年でサッカーを始め、10歳と12歳のときには全日本ジュニアボールリフティング大会で優勝したこともあるという。中学生のころ読売ベレーザに入団し15歳で日本女子代表に初選出された。
日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)では優勝3回に貢献。第1回日本女子サッカーリーグの開幕戦(1989年9月9日)では高倉麻子によるリーグ第1号ゴールを生み出すセンタリングをあげ、第3回日本女子サッカーリーグ(1991年)では最優秀選手(MVP)、最多得点(29点)、最多アシスト(31ポイント)の3部門を独占する快挙を遂げた。
また皇后杯全日本女子サッカー選手権大会では優勝4回に貢献し、第10回大会(1989年)でMVPとなった。
代表ではアジア選手権に4回に出場し、第11回アジア大会(1990年)で銀メダルを獲得。第1回FIFA女子世界選手権大会にも出場するなど40試合で19得点を挙げた。
1992年第4回日本女子サッカーリーグ後、就職により引退し、宇都宮市で少女チームの指導にあたっていたが、1996年第7回日本女子サッカーリーグ後期から現役に復帰した。
1999年のシーズンをもって引退後はサッカースクールなどで指導にあたり、のちにはNPO法人ブランカを結成。栃木県スポーツ振興審議会委員も務めている。2004年6月20日には日本サッカー協会特任理事に就任した。
2007年2月、代表を務める栃木県女子サッカーリーグ1部所属のブランカFCが、Jリーグ栃木SCの女子チーム「栃木SCブランカ」となった〔下野新聞 2007年2月3日付〕。同チームでは2010年まで監督を務め、後任の監督には元浦和レッズレディース田代久美子(2009年~コーチ)が就任した。
2011年、栃木SCアカデミーセンターコーチに就任。同年11月、AFC U-16女子選手権AFC U-19女子選手権で日本を優勝に導いたことにより、アジア最優秀女子コーチに選ばれた〔なでしこ宮間、アジア女子最優秀選手 〕。
2013年シーズンから浦和レッドダイヤモンズ・レディースの監督に就任〔したが、同年6月、体調不良を理由に辞任した〔なでしこ浦和 手塚監督が体調不良で辞任 日刊スポーツ 2013.6.18付記事〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「手塚貴子」の詳細全文を読む




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