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女子サッカー : ミニ英和和英辞書
女子サッカー[じょしさっかー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
女子 : [じょし]
 【名詞】 1. woman 2. girl 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

女子サッカー : ウィキペディア日本語版
女子サッカー[じょしさっかー]

女子サッカー(じょしサッカー)は、女性が選手としてプレーするサッカーであり、約100年以上にわたって行われてきた。しかし黎明期は慈善活動運動の一環として行われており、1970年代に女性のサッカーが組織化され、進歩への道程を歩み始めるまでは、サッカーといえば「男性のためのスポーツ」という見方が大勢であった。今日いくつかの国においては、サッカーは女性にとって最も身近なスポーツ競技であり、またいくつかある女子のプロスポーツのひとつでもある。
女子サッカーの成長・発展ぶりについては、世界各国、または世界および各大陸レベルにおいていくつかの大会が創設され行われてきたという事実が物語っている。女子サッカーの全国リーグの数は少しずつ増加しており、リーグがない国においては各種カップ戦が行われている。
女子サッカーはその存在を認められるため、長きに渡り苦闘を経験してきた。1920年代初頭、イギリス国内で女子サッカーが最初の黄金時代を迎えていた時代、いくつかの試合では50,000人を超える観客を集めていた〔Trail-blazers who pioneered women's football BBC 2005.6.3付記事〕。しかし1921年12月5日、イングランドサッカー協会において会員であるクラブによる投票が行われた結果、1971年7月にこの決定が撤回されるまで、女子サッカーはイングランド国内において排除されることとなった。
FIFAの統計によると、世界の女子サッカーの競技人口は2006年時点で約2600万人である〔FIFA Big Count 2006: 270 million peope active in football fifa.com 2014年7月7日閲覧。〕。協会登録人口は約410万人であり、その中でもアメリカは約167万人と圧倒的に多く、世界の4割以上を占めている〔。
== 歴史 ==

「近代サッカーの母国」イングランドでの最古の記録として1895年に北イングランドと南イングランドによる対抗試合が残っている。これは「近代サッカー成立の年」とされる1863年から僅か30年ほどのことである。また、この試合では女子選手は頭に帽子をかぶり、スカートを履いてプレーした。観客10,000人を集めたこの試合がきっかけとなり、サッカーは僅かな間に女性にも普及していった。
予想以上の盛り上がりに対し、サッカーを「男の中の男のスポーツ」と考えたイングランドサッカー協会 (FA) は1902年、傘下のクラブに対し女性との試合を禁ずる。しかし1914年第一次世界大戦が勃発して男性が戦場へ借り出されると、女子サッカーはヨーロッパ各地で盛んに行われるようになった。
戦争の終結により男子プレーヤーの復帰が進んでのちも女子サッカーの人気はつづいたが、「サッカーは女性のからだに有害」という根拠の薄い理由付けにより不当な扱いを受け、さらに1921年にはFAが女子チームに対してグラウンドの貸し出しを禁ずる命令を通達。そのため一時は試合どころか練習会場すらままならない状況が続いた。一方、フランスでは第一次世界大戦中に最初の女子サッカーチームが発足した後、アリス・ミリアによりフランス女子スポーツ連盟 (FSFSF) が創設され、FSFSFの働きかけにより1918年にフランス女子サッカー選手権が開始される。1920年にパリの女子サッカーチームがイングランドに遠征してクラブ間の親善試合を行う。1924年にはフランス女子選抜チームがベルギー女子選抜チームと試合を行なっており、これが歴史に残る最初の国際試合となっている。ドイツでは1922年頃にドイツ大学女子サッカー選手権が開催され、1930年フランクフルトで国内初の女子サッカークラブが誕生した。同じ頃に中国大陸各地で女子の学校教育においてサッカーが登場した。以降、第二次世界大戦が本格的に始まる1930年代後半まで女子サッカーは盛んに行われた。
第二次世界大戦後の1954年オランダサッカー協会 (KNVB) とドイツサッカー連盟 (DFB) は女子チームに対しFAと同様の通知を発布する。しかしこのころには男女同権の流れが世界に浸透し始め、1960年代にはアメリカ合衆国ウーマン・リブが興るなど女性に対する社会の風潮が変わり始めると、女子サッカーも少しずつ盛り返し始める。とりわけ東ヨーロッパ諸国では各国でいち早く女子チームが作られた。同じころ、東アジアでも台湾シンガポールタイ王国で女子サッカーが盛んになり、女子のスポーツとして大きく浸透した。
1970年、FAは女性に対するグラウンド使用禁止の通達を破棄。KNVBとDFBもそれにつづいた。1971年には国際サッカー連盟(FIFA)が初めて公認した女子代表の国際試合「フランスオランダ」が行われ、また各国協会で女子サッカーも傘下に置くよう通達がなされたこともあり、イタリアデンマークスウェーデンをはじめとして、世界各地で女性の競技機会の解放が進み、さらに1980年代には「サッカー不毛の地」といわれるアメリカでも女子のスポーツとして広く浸透するに至った。
1986年メキシコシティで行われた国際サッカー連盟 (FIFA) 総会でノルウェーサッカー協会から派遣された女性、エレン・ウィレ(エレン・ヴィッレ)が「人類の半数は女性である。FIFAは女子サッカーにもっともっと力を入れるべきである。そして女子サッカーがもつ限りない将来性に目を向けなければならない。」と演説し、女子ワールドカップの開催、オリンピックに女子サッカーの追加、男女とも同一のルールの採用を提案した。これに感銘を受けた議長のジョアン・アヴェランジェ会長(当時)は、2年後の1988年中華人民共和国広州市非公式な世界大会を実施。この結果をもとに1991年第1回女子サッカー世界選手権を中国の5会場で開催した。のちにFIFA女子ワールドカップと呼ばれるこの大会が開かれ、さらにオリンピックでも1996年アトランタ大会から正式種目に採用されたことにより、少しずつ市民権を得てきている。2004年にはFIFA会長のゼップ・ブラッターが「より女性らしさを出すために、バレーボールで採用されているような服装にし、ボールも男子の競技で使用されているものより軽いボールを扱うべきではないか」と発言して物議を醸したこともあった〔Soccer chief's plan to boost women's game? Hotpants guardian.co.uk、2012年5月31日閲覧。〕が、2012年にはヨーロッパで開催されているクラブ国際大会のUEFA女子チャンピオンズリーグ決勝戦で50,000人を超える観客を集める〔Lyon defeat Frankfurt to retain women's crown UEFA.com、2012年5月31日閲覧。〕など、近年では男子サッカーに劣らない人気を誇る試合も現れるようになっている。
現在ではアメリカ合衆国のほか、北ヨーロッパ西ヨーロッパが強豪国となっており、また東アジアでも中国、北朝鮮日本、そして近年では韓国で盛んになってきている。またアフリカ南アメリカといった男子サッカーの強豪地域、そしてオセアニアでも女子サッカーが盛んになってきた。さらに宗教上の理由などからイスラム文化圏での活動はあまり見られなかったが、2005年ヨルダンアンマンで「西アジア女子サッカー選手権」が行われ、また2006年には「第1回シリア女子全国リーグ」が7月から7チーム(80分制で交代は5人まで認められる特別方式)で行われ、同年12月には2006アジア競技大会ドーハヨルダンヒジャブなどを着用して参加するなど、少しずつ裾野を広げつつある。また、これまでオリンピックに一度も女子選手を派遣したことがなく、2012年のロンドンオリンピックで初めて女子選手を派遣する〔サウジアラビア:ロンドン五輪に女性選手初出場へ mainichi.jp、2012年6月25日掲載、2012年7月1日閲覧。〕〔サウジ女性の初五輪消える nikkansports.com、2012年6月28日掲載、2012年7月1日閲覧。〕〔Saudi Arabia, Qatar, Brunei to Send Women to Olympics Voice of America, 2012年7月12日掲載、2012年8月29日閲覧。〕など女性のスポーツに関して否定的であったサウジアラビアでも、アフマド・エイド・アル・ハルビサウジアラビアサッカー連盟会長〔Saudi Arabia Football Federation AFC.com〕が大学で行われている女子サッカーを視察、国内リーグを創設する考えがあると発言する〔Kick It: Women’s Football On the Rise in Kingdom MidEastposts.com、2011年8月15日掲載、2012年7月1日閲覧。〕など次第に女子サッカー活動への理解がなされるようになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「女子サッカー」の詳細全文を読む




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