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戸田光規 : ミニ英和和英辞書
戸田光規[とだ みつのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

戸田光規 : ウィキペディア日本語版
戸田光規[とだ みつのり]
戸田 光規(とだ みつのり、延宝6年(1678年) - 正徳6年閏2月19日1716年4月11日))は江戸時代旗本
美濃加納藩2代藩主松平光永の次男。3代藩主松平光煕の弟。母は都筑氏。幼名は幾松、孫之丞。通称は内記、大膳。官位は従五位下、播磨守。子に娘(菅沼定用室)がいる。
元禄8年(1695年)7月25日、将軍徳川綱吉に拝謁し、宝永元年(1704年)1月13日中奥の御小姓となる。宝永2年(1705年)兄の光煕から俵米3,000俵を分知される。
正徳6年(1716年)閏2月19日没。享年39。法名は弧天。小石川祥雲寺に葬られた。
甥の松平光慈を末期養子とし家督を相続させたが、後に信濃松本藩主に転じた。
== 参考文献 ==

*「寛政重修諸家譜 巻第904」



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸田光規」の詳細全文を読む




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