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慶雲の改革 : ミニ英和和英辞書
慶雲の改革[けいうんのかいかく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くも]
 cloud
: [かい]
 (n-suf) revision
改革 : [かいかく]
  1. (n,vs) reform 2. reformation 3. innovation 
: [かわ]
 【名詞】 1. skin 2. hide 3. leather 4. fur 5. pelt 6. bark 7. shell 

慶雲の改革 : ウィキペディア日本語版
慶雲の改革[けいうんのかいかく]
慶雲の改革(けいうんのかいかく)は、飛鳥時代末期の慶雲3年(706年)以降、文武天皇統治下の朝廷において行われた律令体制改革をいう。
== 背景 ==

=== 大宝律令の不備 ===
壬申の乱の勝利後に史上初の「天皇」として即位し〔「天皇」号の成立は、近年では天武天皇期が有力視されている。詳細は天皇天武天皇を参照。〕、思い切った国制改革を進めた天武天皇が没した後、大后持統天皇が即位。天武の遺志を継ぎ、日本初の本格的都城である藤原京の建設を進めたほか、飛鳥浄御原令の制定など、を参考にした律令の整備・国史編纂事業などを継続した。その持統天皇の譲位を受けて即位した孫の文武天皇の時期には、天武・持統以来の改革の集大成となる律令の制定が急がれ、大宝元年(701年)に大宝律令の完成という形で結実した。しかし律令編纂には入唐経験のある伊吉博徳や、唐から帰化した薩弘恪などが加わってはいたものの、作成を主導した刑部親王藤原不比等らは唐律令の実態に精通していた訳ではなく、やや理想的な傾向を残すものでもあった。その結果、施行してみて初めて分かった矛盾・不備なども認識されるようになる。大宝3年(703年)持統太上天皇が崩御すると、実際に施行されはじめた律令と、現実的運用とのギャップから、細則の必要性や令そのものへの改革が迫られるようになる。

また、大宝3年(703年)から慶雲4年(707年)にかけて連続的に発生した飢饉〔たとえば『続日本紀』慶雲2年8月戊午条「詔曰。陰陽失度。炎旱弥旬。百姓飢荒。或陷罪網。宜大赦天下」など。〕と税体系の不備により貧窮する農民が続出したため、その救済策も求められた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「慶雲の改革」の詳細全文を読む




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