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慶天海孔晴 : ミニ英和和英辞書
慶天海孔晴[けいてんかい こうせい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 

慶天海孔晴 : ウィキペディア日本語版
慶天海孔晴[けいてんかい こうせい]

慶天海 孔晴(けいてんかい こうせい、1990年3月10日 - )は、鹿児島県大島郡瀬戸内町出身で阿武松部屋所属の現役大相撲力士。本名は慶 孔晴(けい こうせい)。身長176cm、体重125kg。得意技は左四つ・寄り・下手投げ。最高位は東十両11枚目(2012年9月場所)。好物は焼鳥。
== 人物 ==
地元の奄美大島は「男子に生まれたらだれもが廻しを締める」ほど相撲が盛んな地域であり〔『相撲』2012年4月号98頁〕、慶は3歳の頃から相撲を始めていた。幼少期より小柄であった慶は地元の古仁屋相撲クラブで「廻しを取ったらとにかく動きまくれ」という指導を受け、中学卒業まで日曜を除いて夕方5時から8時まで相撲クラブでの稽古に打ち込んでいた。相撲の名門校の埼玉栄高校に相撲留学〔埼玉栄高校の1年先輩には常幸龍がいる。〕するがこの時から右肩の脱臼癖に悩まされる。それでもレギュラー入りのチャンスがやってきた2年生の頃には「稽古を休むといつ降ろされるか分からないので、痛いのは黙っていた」と苦しみながら稽古に励み、その年度の全国高等学校相撲選手権大会直前に5番手としてレギュラー入りを果たした。その大会の団体戦では先鋒を任されたが決勝トーナメント1回戦で今まで故障した経験の無かった左肩が外れてしまった。しかし当時の監督である山田道紀は「お前以外に誰がいるんだ」と励まし、決勝トーナメントではすべて大将戦で勝利を決める際どい戦いを見せて全国制覇を掴み取った。高校卒業後に監督の薦めで阿武松部屋に入門し2008年(平成20年)1月場所で初土俵を踏む。名前が番付に載った同年3月場所では近畿大学出身の誉富士を下すなど好調なスタートを切り同年7月場所では三段目まで番付を上げたが、右肩の怪我の手術に踏み切り7月場所と9月場所を全休する。序二段に下がった同年11月場所では序二段優勝を飾ったがその場所の決定戦で透川と取った際に左膝靱帯断裂の大怪我を負ったことで翌年の1月場所は全休。しかし、同年3月場所から復帰してからは順調に番付を上げ、2010年(平成22年)7月場所では幕下に昇進。左膝靱帯を損傷してから1年は本人曰く「まともな稽古ができず片足だけで取っていた」ような状態であったものの徐々に最高位を上げ、体重が120kg程度まで増えたことで成績が一気に向上していった。2012年(平成24年)3月場所で幕下上位の東幕下7枚目まで番付を上げ、この場所は大阪入り直前にオーバーワークを原因とする右太もも肉離れを起こすアクシデントに見舞われた中で5勝2敗で勝ち越し。同年5月場所〔この頃は若荒雄の付き人を務めていた。 『相撲』2012年5月号91頁〕も関取との対戦もあったが4勝3敗と勝ち越し、翌7月場所も西幕下筆頭の地位で5勝2敗と勝ち越し、関取昇進を決める。新十両昇進と同時に、それまで本名のままであった四股名を「慶天海」と改めた。〔新十両に山口改め大喜鵬ら=大相撲 時事ドットコム 2012-07-25閲覧〕四股名「慶天海」は高校時代の相撲部監督〔この人物は山田道紀の前任を務めた監督である。〕が死去する前に遺言にしたものであり、慶はそれに従いこの四股名を名乗ることとした。同部屋の兄弟子である丹蔵も自身と共に新十両に昇進しており、同部屋から同時に新十両への昇進を果たすのは2010年3月場所での同じ阿武松部屋(大道と益荒海)以来のこととなった。〔阿武松部屋からW十両昇進 nikkansports.com 2012年7月25日18時7分〕
新十両であった2012年9月場所は、初日に黒海を破ったものの、2日目に德真鵬に敗れた際に膝を負傷し、3日目から途中休場。右膝前十字靱帯断裂(当初は靱帯損傷)と診断され同年10月に手術し、復帰には1年を要すると発表された〔慶天海、前十字靱帯断裂で復帰まで1年 - スポーツ報知(電子版) 2012年9月21日閲覧〕〔NHK大相撲中継9月場所4日目(2012年9月12日放映)の中入りには、怪我で途中休場した自身に代わって丹蔵が新十両インタビューを受けており、その際丹蔵は「慶天海関の分まで頑張ります」と発言していた。〕。その後は5場所連続全休し、序ノ口まで降下した2013年9月場所〔『相撲』2013年11月号71ページには「本当は7月場所から出ようと思ったけど、ストップがかかったので今場所からになった。」と話した様子が記述されている。〕で6場所ぶりに土俵に復帰して復活の全勝優勝を果たした〔【秋場所】35歳10か月の天一が三段目優勝 スポーツ報知(電子版) 2013年9月27日閲覧〕〔ちなみに同部屋の丹蔵も5場所連続全休の怪我を乗り越えて関取に昇進した経験の持ち主である。〕。直後の11月場所でも序二段で全勝優勝を果たした。2014年1月場所は4番相撲で敗れたことで復帰以来続いていた連勝が17で打ち止めとなったものの6番相撲で勝ち越しを確定させて5勝2敗で場所を終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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