翻訳と辞書
Words near each other
・ 徳永功
・ 徳永千奈美
・ 徳永千帆子
・ 徳永友一
・ 徳永善也
・ 徳永喜久夫
・ 徳永圭
・ 徳永圭一
・ 徳永宗也
・ 徳永富彦
徳永寿昌
・ 徳永寿美子
・ 徳永康元
・ 徳永徹
・ 徳永恂
・ 徳永恕
・ 徳永悠平
・ 徳永悦子
・ 徳永愛
・ 徳永憲


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

徳永寿昌 : ミニ英和和英辞書
徳永寿昌[とくなが ながまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

永寿 : [えいじゅ]
 (n) long life
寿 : [ことぶき]
 【名詞】 1. congratulations! 2. long life! 

徳永寿昌 : ウィキペディア日本語版
徳永寿昌[とくなが ながまさ]

徳永 寿昌(とくなが ながまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名美濃高須藩初代藩主。
== 生涯 ==
美濃、尾張、近江など出身地は諸説あり、はっきりしない。
はじめ柴田勝家の養子の柴田勝豊に仕えた。柴田氏と羽柴氏が争った天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは、直前に勝豊が羽柴秀吉方に下ったため、羽柴方として参戦した。その直後に勝豊が病死したため秀吉の家臣となり、後に豊臣秀次付の家老として美濃国松ノ木城に3万石の所領を与えられた。秀次所領の、近江能登川の用水を整備した記録が残る。秀次の失脚事件には連座せず、むしろ秀次の罪状を並べ立てたと伝わる。秀次の処分の際には秀次の妻子を自らの屋敷に捕縛・軟禁する役割を務めた。
慶長3年(1598年)、秀吉の死後に文禄・慶長の役の幕引きをはかる五大老徳川家康の命令で、宮城豊盛や徳川家臣の山本重成とともに朝鮮に在陣していた日本軍へ撤兵を伝える使者を務めた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、西軍に属した隣城高須城1万石の城主高木盛兼を謀略を使ってこれを落とし、また本戦終了後に駒野城に篭城した池田秀氏を降伏させた。戦後、徳川家臣の本多正信大久保忠隣らとともに、関ヶ原の戦いで奮戦した諸大名の戦功を調べる役目を務めた。これらの戦功により高須にて2万石を加増され、高須藩初代藩主となった。
慶長17年(1612年)7月10日、64歳で死去し、跡を長男の昌重が継いだ。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳永寿昌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.