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弘中方明 : ミニ英和和英辞書
弘中方明[ひろなか かたあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 

弘中方明 : ウィキペディア日本語版
弘中方明[ひろなか かたあき]

弘中 方明(ひろなか かたあき/かたあきら/まさあきら)は、戦国時代武将周防長門を本拠とする大内氏の家臣。後に毛利氏家臣。
== 生涯 ==
弘中興勝(興兼)の次男として生まれる。安芸国の守護代であった実兄の弘中隆包を補佐して岩国領の水軍を指揮、冷泉隆豊小早川隆景毛利元就の三男)らと共に大内軍の水軍の一翼を担い、神辺城の戦いなどで智勇を振るう。
天文24年(1555年)の厳島の戦いでは兄の隆包や甥の隆助が厳島へ渡海して討死したが、方明は治領の岩国に待機。同年から始まる毛利氏防長経略では抵抗を示さず、三蔵主(さんぞうす)を名乗って琥珀院に出家し、岩国に駐屯した毛利元就に降伏。元就にその智勇を認められて毛利家臣となり、偏諱の「就」の字を受けて名を弘中就慰(なりやす)と改め、300貫の所領を得た。その後は毛利水軍の一員として主に吉川元春(毛利元就の次男)を支え、門司城の戦い立花山城の戦いなどを歴戦。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「弘中方明」の詳細全文を読む




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