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康暦の政変 : ミニ英和和英辞書
康暦の政変[こうりゃくのせいへん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
政変 : [せいへん]
 【名詞】 1. coup 
: [へん]
  1. (adj-na,n) change 2. incident 3. disturbance 4. strange 5. flat (music) 6. odd 7. peculiar 8. suspicious-looking 9. queer 10. eccentric 1 1. funny 1

康暦の政変 : ウィキペディア日本語版
康暦の政変[こうりゃくのせいへん]
康暦の政変(こうりゃくのせいへん)は、南北朝時代天授5年/康暦元年(1379年)に室町幕府管領細川頼之が失脚した政変である。
== 概要 ==

=== 背景 ===
室町幕府2代将軍足利義詮の頃には守護同士が対立し、執事細川清氏などは失脚した後に南朝に属して京都を奪還するなど幕政は不安定な状態にあった。清氏失脚後には斯波高経義将父子が政権を持つが、佐々木道誉との対立などから貞治の変で失脚する。義詮死去の直前には四国中国地方で南朝側と戦っていた細川頼之が道誉など反斯波派の支持を得て管領に就任する。頼之は義詮の子で幼少の3代将軍足利義満を補佐し、半済令の試行(応安大法)や南朝との交渉、九州探題今川了俊の任命・九州派遣などの政策を実施するが、旧仏教勢力の比叡山と新興禅宗南禅寺との対立においては南禅寺派を支持していたため比叡山と対立し、比叡山の強訴に屈服、南禅寺の住職春屋妙葩が隠棲して抗議するなど宗教勢力とも対立していた。
天授4年/永和4年(1378年)、紀伊での南朝方の武将橋本正督の活動に対して、頼之は弟で養子の頼元を総大将として軍勢を派遣するが、諸将が命令に従わず鎮圧に失敗。成長した義満は反頼之派の山名義理氏清兄弟を派遣し、大和での軍事活動にも復帰した斯波義将や土岐頼康ら反頼之派を派遣した。天授3年/永和3年(1377年)には義将の所領内の騒動が頼之の領地であった太田荘(現富山県富山市)に飛び火すると、頼之と斯波派、土岐氏山名氏らの抗争が表面化し、頼之派から斯波派に転じる守護も現れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「康暦の政変」の詳細全文を読む




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