翻訳と辞書
Words near each other
・ 平和ラッパ・日佐丸
・ 平和ラッパ・梅乃ハッパ
・ 平和・人権・民主主義を考える全国高校生集会
・ 平和・安全保障研究所
・ 平和・市民
・ 平和・民主・革新の日本をめざす全国の会
・ 平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会
・ 平和不動産
・ 平和中学校
・ 平和主義
平和主義アナキズム
・ 平和主義憲法
・ 平和主義者
・ 平和五原則
・ 平和交通
・ 平和交通 (千葉県)
・ 平和交通 (神奈川県)
・ 平和会議
・ 平和元年
・ 平和党


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

平和主義アナキズム : ミニ英和和英辞書
平和主義アナキズム[へいわしゅぎあなきずむ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平和 : [へいわ]
  1. (adj-na,n) peace 2. harmony 
平和主義 : [へいわしゅぎ]
 (n) pacifism
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主義 : [しゅぎ]
 【名詞】 1. doctrine 2. rule 3. principle 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

平和主義アナキズム : ウィキペディア日本語版
平和主義アナキズム[へいわしゅぎあなきずむ]

平和主義アナキズム(、無政府平和主義とも)とは、アナキズム運動において社会変革のための暴力を拒否する考えのことである。その初期にはヘンリー・デイヴィッド・ソローレフ・トルストイが、後にはマハトマ・ガンディーがその思想に影響を与えた〔George Woodcock. ''Anarchism: A History of Libertarian Ideas and Movements'' (1962)〕〔"Resisting the Nation State, the pacifist and anarchist tradition" by Geoffrey Ostergaard 〕。このイデオロギーは主に第二次大戦以前から戦中にかけてオランダ、イギリス、アメリカで発展した。
== 歴史 ==
主な先例としては、レフ・トルストイマハトマ・ガンディーの主義に影響を与えた、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー市民的不服従やの運動が挙げられる〔。
1840年代になると、奴隷制廃止運動家にしての提唱者でもあると、彼のイギリスでの支持者ジョセフ・バーカーが、政府の概念を否定し、平和主義的な個人主義的無政府主義のあり方を唱えた〔 Brock, Peter,
''Pacifism in Europe to 1914'', Princeton, N.J. : Princeton University Press, 1972, ISBN 0691046085 (p. 395-6).〕。平和主義アナキズムのいくつかの点はからも支持された。
最初の大規模な平和主義アナキズム運動は、ロシアにおける農民運動トルストイ運動だった。トルストイ運動家はキリスト教の教えを絶対的平和主義とすべての強権の否認として解釈し、何百もの自発的な平和主義アナキズムのコミューンを設置した。厳格な菜食主義を含むそれらの運動はロシア全域に広まったが、帝政国家の権威を否定したことにより過酷な弾圧を受け、彼らの大部分はシベリアへ追放された。ロシア革命後もやはりトルストイ運動家は社会主義国家の権威を否定したため弾圧の対象とされ、レーニンスターリンの時代にほとんどが粛清された。
アナキズムにおいて、暴力はしばしは論争の種であった。19世紀において多くのアナキストは暴力的なを容認したが、トルストイを始めとする平和主義アナキストたちは変革の手段としての暴力を明確に否定した。トルストイは、抑圧と強制を否定するという自身の定義ゆえに、そして国家というものが本質的に暴力的であるがゆえに、アナキズムは非暴力的でなければならず、意味ある平和主義もそれと同様でなければならない、と主張した。その哲学はインド独立の指導者であり平和主義者であるマハトマ・ガンディーに大きな影響を与えた。ガンディーはアナキストを自認していた。オランダのもまた、アナキズム運動内での平和主義の流れの確立を模索した。フランスでは1902年にが反軍国主義者連盟を設立するなど、個人主義的無政府主義の勢力でが目立ち始めていた。
「オランダの平和主義アナキストであるの1936年の論文「暴力の征服」("The Conquest of Violence")〔このタイトルはピョートル・クロポトキンの論文「パンの略取」("The Conquest of Bread")に対する極めて婉曲な当てつけである。〕は、重要な兆候だった〔"Anarchism and the Movement for a New Society: Direct Action and Prefigurative Community in the 1970s and 80s" by Andrew Cornell 〕」
「ガンディーの思想は、リチャード・グレッグの「非暴力の力」("The Power of Nonviolence")(1935年)やデ・リヒトの「暴力の征服」(1937年)といった書物によって欧米に広まった。中でも後者の本は、著者自身がそうであるように革命を渇望する人々に向けて訴えられているがために、アナキストにとっては特段に重要である。彼はこう述べている、「暴力が大きければ大きいほど、革命は小さくなる」と。デ・リヒトはまた、ガンディー主義にのっとった非暴力主義とサンディカリストの実利的な非暴力主義を結び付けもした。(ほとんどのサンディカリストは、革命は武装した労働者によって防衛されなければならないと考えていることには言及する必要があるにせよ、ゼネストそれ自体は労働者による全体的な非協力の表れである)〔Resisting the Nation State. The pacifist and anarchist tradition by Geoffrey Ostergaard 〕」
グローバルな運動としては、第二次大戦直前にオランダ、イギリス、アメリカに出現した平和主義アナキズムは、その後の核廃絶運動において強い存在感を放っていた。アメリカの作家は1940年代に平和主義アナキズムの観点を支持し、自身の発行する雑誌「ポリティクス」をその宣伝に利用した〔Wald, Alan M. ''The New York Intellectuals: The Rise and Decline of the Anti-Stalinist Left From the 1930s to the 1980s''. UNC Press Books, 1987 ISBN 0807841692, (p.210). 〕。イギリスの指導的平和主義アナキストであったは「積極的反軍国主義者」を自認し、平和主義が「アナキズムにおける単なる歴史上の理論」に留まっていると信じた〔For discussions of Comfort's political views, see ''Demanding the Impossible: A History of Anarchism'' (1992) by Peter Marshall, and ''Anarchist Seeds Beneath the Snow'' (2006) by David Goodway.〕。コンフォートは積極的な核廃絶運動家でもあった。
コンフォートの著作の中でアナキズムに関するものは、彼がピース・ニュース平和の誓い連合に向けて書いた多くのパンフレットの中の一つである「平和と不服従」("Peace and Disobedience")(1946年)や、「近代国家における権威と怠慢」("Authority and Delinquency in the Modern State")(1950年)である〔。彼は「オバデヤ・ホーンブローク」("Obadiah Hornbrooke")というペンネームで、平和主義の擁護者であったジョージ・オーウェルと、公開書簡において「アメリカ人旅行者への手紙」("Letter to an American Visitor")と題した詩をやり取りした〔''Complete Essays, Journalism and Letters of George Orwell'' volume II, pg. 294-303〕。
1950年代60年代には平和主義アナキズムはゲル化し始め、国家に批判を加えるタフなアナキストと、暴力に批判的な打たれ弱い平和主義者は一体化した〔」
新左翼公民権運動の出現という流れの中で、「いくつかのテーマ、理論、行動、そしてすべての明らかな自由主義者が顕在化するようになり、知的な発露の場を与えられるようになったのは、によるところである〔」。
その他注目すべき平和主義アナキズム史上の人物としては、アモン・ヘナシードロシー・ディ、そして1939年から40年にかけてのジャン=ポール・サルトルが挙げられる〔Taylor, John, "Abandoning Pacifism: The Case of Sartre", ''Journal of European Studies'', Vol. 89, 1993〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平和主義アナキズム」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.