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山本浩二 : ミニ英和和英辞書
山本浩二[やまもと こうじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [に]
  1. (num) two 

山本浩二 : ウィキペディア日本語版
山本浩二[やまもと こうじ]

山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )は、広島県広島市佐伯区出身の元プロ野球選手外野手)・監督。本名及び旧登録名は「山本 浩司」(1974年まで)。2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表監督を務めた。現在日本プロ野球名球会理事長。血液型はB型。
現役時代は広島東洋カープで長きに渡って活躍した。「ミスター赤ヘル」の愛称で親しまれ、引退後も広島監督を2度務めた。
== 経歴 ==

=== アマチュア時代 ===
1946年、広島県佐伯郡五日市町(現・広島市佐伯区)に生まれ、父は軍人、母は広島市原爆投下に遭って被爆し、本人は被爆2世である〔(被爆国から2015)選手の胸には8月6日 今も黙祷 〕。子供の頃、父に連れられ、当時の広島カープの本拠地・広島県営球場太田川対岸から渡し船で何度も通った。この時代の広島の主力選手であったエースピッチャー長谷川良平、4番打者・小鶴誠、韋駄天・金山次郎に憧れ、これらを全部足した選手になりたいと夢見て野球に打ち込んだ。
16歳の時、自分自身の力で甲子園へ行くため、また大学進学を視野に入れた家族の意向もあって、野球では全くの無名だった広島県立廿日市高等学校へと進学。入学入部と同時にエース・4番打者となる(県内の同期には高橋一三小川邦和らがいる)。3年時には主将として夏の甲子園県予選に臨み、もう少しで甲子園に手が届く所まで勝ち進んだが、準決勝でエース河本和昭(のちにサンケイスワローズ1位指名を拒否)を擁する広陵高等学校に、17安打を打たれ1-9で完敗、涙を飲んだ。
しかし、その評判を人伝に聞いた南海ホークス鶴岡一人監督の目に留まる。鶴岡は「今プロに入っても通用しない」と大学進学を勧め、それを受けて1965年、高校卒業と同時に法政大学文学部英文学科に入学した。鶴岡は後年、当時の山本について「投手としてはともかく、打撃には非凡なものを感じた」と語っている。
大学進学後、投手として野球部に入部したが、1年生部員だけで50人いた当時の法大では台頭できず、すぐにエリートコース(合宿組)に入った田淵幸一と違い、富田勝桑原秀範らと共に一般部員の立場に甘んじていた。2年生時、山中正竹の入部をきっかけに外野にコンバートされ、松永怜一監督に個人特訓を受けて打撃の才能が開花。2年生にしてクリーンナップに抜擢される。やがて山本は、田淵、富田と共に「法政三羽ガラス」の異名を取り、法政黄金時代を築き上げる大きな原動力となった。東京六大学リーグでは在学中3度のリーグ優勝を経験。1968年全日本大学野球選手権大会では決勝で駒大を降し優勝。リーグ通算で65試合出場、229打数67安打、打率.293、8本塁打、30打点の成績を残し、ベストナインを2回獲得した。
山本は地元の広島カープ球団に入ることを熱望。それまで広島は創設19年でAクラスはわずか1回、Bクラス18回の弱小球団であったが、未だ優勝したことのない地元球団を優勝させることを夢としていた。そのため、プロ入りを不安視する家族の心配があったこともあり、もし広島以外に指名されればそれを断り、場合によってはサラリーマンとしての人生も考えていたという〔山本浩二著『栄光の背番号8:これがオレの野球人生だ』(1986年、交通タイムス社)〕。
1968年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。この際に感極まった山本は大きくガッツポーズを作り、歓喜の雄叫びを挙げた。入団当初の背番号は27だったが、山内一弘引退後、背番号8を譲り受けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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