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宝鏡院主 : ミニ英和和英辞書
宝鏡院主[ほうきょういん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たから]
 【名詞】 1. treasure 
院主 : [いんじゅ]
 (n) head of a temple
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 

宝鏡院主 ( リダイレクト:宝鏡寺理久 ) : ウィキペディア日本語版
宝鏡寺理久[ほうきょうじりきゅう]
宝鏡寺理久(ほうきょうじりきゅう、? - 享徳3年6月24日1454年7月19日))は、室町時代前期の女性尼僧室町幕府第3代将軍・足利義満の娘。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教らの妹。法名は桂芳久公。法諱は恵久とも〔 臼井信義 著『人物叢書‐足利義満』吉川弘文館、1989年、p.255-256〕。
== 生涯 ==
父は足利義満。生母は不明。生年に関しては応永3年(1396年)か応永8年(1401年)の2説がある〔。叔母にあたる宝鏡寺恵照の跡を継いで、尼五山の首席・景愛寺の長老となった〔。永享11年(1439年)2月、景愛寺を退いて建聖院で衆僧の礼を行ない、宝鏡寺に帰住した〔。享徳3年(1454年)6月24日に死去。享年は59か54〔。
文明18年(1486年)に33年忌仏事が行なわれている〔『陰凉軒日録』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宝鏡寺理久」の詳細全文を読む




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