翻訳と辞書
Words near each other
・ 安代バスストップ
・ 安代温泉
・ 安代町
・ 安以軒
・ 安位寺殿御自記
・ 安住
・ 安住の地
・ 安住啓太郎
・ 安住城
・ 安住寺
安住敦
・ 安住村
・ 安住洋子
・ 安住涼子
・ 安住淳
・ 安住神社
・ 安住紳一郎
・ 安住紳一郎の日曜天国
・ 安住院
・ 安住麻里


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安住敦 : ミニ英和和英辞書
安住敦[あずみ あつし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

安住 : [あんじゅう]
  1. (n,vs) living peaceably 
: [じゅう]
 【名詞】 1. dwelling 2. living 

安住敦 : ウィキペディア日本語版
安住敦[あずみ あつし]
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人随筆家。前号・安住あつし。
== 経歴 ==
東京市芝区生まれ。1917年に福島県平町(現・いわき市)に移り磐城中学に入学。1923年、父の事業の失敗のため東京に戻り、立教中学校に転入、1926年卒業。逓信官吏練習所を卒業を経て1928年に逓信省簡易保健局に入所。父の事業の失敗で上級学校に進めなかったことは、俳人として名をなして以降もつねに意識のなかにあったという。
1930年、同僚に誘われて短歌結社「覇王樹」に入会し、短歌を橋田東声に師事。同時期にやはり同僚に誘われ、上司の富安風生が主宰する「若葉」に入会し俳句を風生に師事。以後8年の間短歌と俳句をともに続ける。1935年、「旗艦」に参加し、日野草城に師事、新興俳句運動に関わる。1944年、移動演劇連盟に転職、同年に俳誌「多麻」創刊。7月に応召。
1946年、逓信省に戻るとともに、久保田万太郎を擁して大町糺とともに「春燈」を創刊。万太郎を擁しての「春燈」創刊は敦のたっての願いで、以後編集人として同誌の赤字解消・刊行継続のために孤軍奮闘した。1947年、俳句作家懇話会を結成、また岸風三楼加倉井秋をらとともに「諷詠派」を創刊。1949年より官業労働研究所に勤務。1961年、俳人協会設立に参加。1963年に万太郎が没し、「春燈」主宰を継承。
1966年、『春夏秋冬帖』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1972年、句集『午前午後』他で第6回蛇笏賞受賞。1972年、紫綬褒章受章。1982年、俳人協会会長に就任(1987年まで)。1984年より朝日俳壇選者(1986年まで)。1985年、勲四等旭日小綬章受章。1988年7月8日、肺炎により死去。81歳。東京都目黒区祐天寺に埋葬され、七回忌を機に同境内に句碑「てんとむし一兵われの死なざりし」が建てられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安住敦」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.