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宇都宮等綱 : ミニ英和和英辞書
宇都宮等綱[うつのみや ひとつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)

宇都宮等綱 : ウィキペディア日本語版
宇都宮等綱[うつのみや ひとつな]
宇都宮 等綱(うつのみや ひとつな、応永27年(1420年) - 長禄4年3月1日1460年3月23日))は、室町時代中期の大名で、下野の名門宇都宮氏第14代当主。父は13代当主宇都宮持綱、母は宇都宮満綱の娘。武茂綱家の孫。幼名は藤鶴丸、官位は下野守。妻は小山満泰の娘(小山持政の妹)、那須氏資の娘。15代当主明鋼・16代当主正鋼の父。
応永30年(1423年)8月、父の持綱が鎌倉公方足利持氏と対立した末に横死し、持氏に擁立された庶流と推定される宇都宮家綱(伊予守)に家督を奪われた〔家綱については不明な点が多いが、「輪王寺文書」92の古河公方足利持氏家御教書案(『栃木県史』史料編中世一所収)の宛所は「宇都宮伊予守」とされており、持綱の死後に鎌倉公方によって藤鶴丸(持綱)以外の当主・伊予守が立てられたことを示している。更に「塙氏所蔵文書」83の前伊予守家綱書状(『茨城県史料』中世史編1所収)に登場する前伊予守家綱と前述文書に登場する宇都宮伊予守が同一人物であるとされている(江田、2008年、P124-129・136)。〕。藤鶴丸は宇都宮を脱出して諸国を流浪し、後に持氏と対立していた篠川公方足利満直の庇護下に入った。『満済准后日記』応永31年(1424年)3月3日条には藤鶴丸が室町幕府に使者を派遣したことが記されている。永享3年(1431年)に持氏と室町幕府6代将軍足利義教が一時和睦した際にも義教が藤鶴丸を宇都宮家の正当な当主とする態度を示している(『満済准后日記』永享3年4月10・13日条)。また、宇都宮家中も2つに分かれ、塩谷氏や芳賀氏は家綱を、武茂氏は藤鶴丸を支持していたと考えられている〔『満済准后日記』応永30年9月4日条の紙背文書によれば、詳細は欠字によって不明だが、芳賀氏が「言語道断」の振る舞いをしたと記されている。時期的に芳賀氏の言語道断な行いが等綱の父・持綱の死に関わることであったと推定される(杉山、2012年、P169-171)。〕〔『武茂系図』によれば、武茂綱定は奥州で没し、その子・綱胤も藤鶴丸に仕えている(島村、2012年、P187-189)。〕。
永享7年(1435年)までに持氏が元服して等綱と名乗った藤鶴丸の宇都宮家継承を認めている(「鹿島神宮文書」371号鎌倉公方足利持氏御教書)。その後、永享の乱で持氏が敗死したのを機に宇都宮に復帰し、続く結城合戦においては等綱は戦功を挙げ、結城方についた家綱が討ち死にした(『結城戦場記』)ため、等綱の地位がようやく安定した。しかし、持氏の子・足利成氏が鎌倉公方に復帰するとこれに従って江の島合戦で戦功を挙げる〔等綱は一貫して室町幕府側の立場に立ち、結果として幕府に反抗する鎌倉公方とは対立する立場にあったが、江の島合戦はあくまでも鎌倉府内部の対立であって幕府とは無関係な戦いであった(島村、2012年、P200)。〕。
享徳3年(1454年)、成氏が関東管領上杉憲忠暗殺したために享徳の乱が勃発し、等綱のもとにも幕府から成氏討伐令が下されると、父の恨みを晴らすために一転して成氏討伐の兵を挙げて鎌倉から追放した。成氏の怒りは相当のもので、那須資持に対して等綱を批難する書状を送っている(『那須文書』所収(康正元年)5月1日・7月29日付那須資持宛足利成氏書状)。だが、康正2年(1456年)、古河に逃れて古河公方となった成氏によって宇都宮城は包囲され、等綱は成氏軍の圧力と重臣の裏切りによって宇都宮城から追放され、家督を子の明綱に譲って出家隠棲する。その後、一時上洛して還俗したと推定〔長禄2年に結城直朝に等綱の保護を命じた将軍足利義政・管領細川勝元それぞれの書状に「宇都宮下野守」と記されている(島村、2012年、P196-197)。〕され、長禄2年(1458年)に奥州白河の大名・結城直朝に保護された。長禄4年(1460年)、宇都宮に戻れないまま41歳で没した。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宇都宮等綱」の詳細全文を読む




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