翻訳と辞書
Words near each other
・ 孔有徳
・ 孔林
・ 孔枝泳
・ 孔泉
・ 孔版
・ 孔版印刷
・ 孔版画
・ 孔玉振
・ 孔王部
・ 孔球
孔琳之
・ 孔甲
・ 孔甲 (夏)
・ 孔祥明
・ 孔祥煕
・ 孔祥熙
・ 孔祥珂
・ 孔秀
・ 孔穎達
・ 孔管


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

孔琳之 : ミニ英和和英辞書
孔琳之[こう りんし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [これ]
 (int,n) (uk) this

孔琳之 : ウィキペディア日本語版
孔琳之[こう りんし]
孔琳之(こう りんし、369年 - 423年)は、東晋から南朝宋にかけての官僚書家は彦琳。本貫会稽郡
== 経歴 ==
孔廞の子として生まれた。文章を好み、音律を解し、楽器を演奏し、囲碁を打つことができ、特に草書隷書を得意とした。会稽郡により主簿に任命されたが、就任しなかった。後に会稽国常侍として召された。402年元興元年)、桓玄が政権を掌握して太尉となると、琳之はその下で西閣祭酒となった。桓玄が銭貨を廃止して穀物や布帛で代用させる政策を打ち出すと、琳之はこれに反対論を述べた。また桓玄が肉刑の復活についての議論を起こすと、琳之はやはりこれに反対した。桓玄におもねらなかったため、重用されず、楚の員外散騎侍郎にとどまった。母が死去したため、辞職して喪に服した。喪が明けると、司徒左西掾となったが、父の孔廞が致仕すると自ら辞職した。司馬休之が会稽国内史・後将軍となると、琳之はその下で後軍長史となった。父が死去したため、辞職して喪に服した。喪が明けると、太尉主簿となった。尚書左丞・揚州治中従事史・尚書吏部郎を歴任した。
410年義熙6年)、劉裕が平西将軍を兼ねると、琳之はその下で平西長史となった。琅邪王司馬徳文の下で大司馬従事中郎となった。さらに劉裕の下で平北長史や征西長史を歴任し、侍中に転じた。宋国が建てられると、宋国の侍中に任じられた。呉興郡太守として出向したが、公務上の失敗により免官された。
421年永初2年)、御史中丞となった。法に対して厳正で剛直であり、尚書令徐羨之を弾劾してみせたことで、官僚たちに恐れられた。さらに揚州大中正を兼ね、祠部尚書に転じた。423年景平元年)、死去した。享年は55。太常の位を追贈された。
子の孔邈は揚州治中従事史に上った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「孔琳之」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.