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天文の内訌 : ミニ英和和英辞書
天文の内訌[てんもん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
天文 : [てんもん]
 【名詞】 1. astronomy 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内訌 : [ないこう]
 (n,vs) internal or domestic discord

天文の内訌 ( リダイレクト:稲村の変 ) : ウィキペディア日本語版
稲村の変[いなむらのへん]
稲村の変(いなむらのへん)/天文の内訌(てんぶんのないこう)は、戦国時代天文2年(1533年)から翌3年(1534年)にかけて、安房里見氏で発生した内紛。稲村の変という名称は稲村城で発生した里見実堯殺害が発端だったことに由来する。だが、近年の里見氏研究によって、これまでの伝承と史実が全く正反対であることが明らかになった。
== 伝承 ==
里見義豊が叔父・里見実堯を殺して家督を奪ったため、実堯の子・里見義堯が仇討の兵を起こして、義豊を討ったとする。
永正15年(1518年)、里見義通が危篤となったとき嫡男・義豊はまだ5歳であった。そこで、義通の弟である実堯が義豊15歳になるまで陣代(後見人)として家督を預かる事になった。そこで実堯は稲村城に入って、義豊は支城の宮本城へ、実堯の子・義堯は上総金谷城に入った。ところが、義豊が15歳になっても、実堯は北条氏綱の上総へ侵攻を理由に家督移譲を延期していた。また、三浦氏嫡流の末裔である新参の正木通綱が筆頭重臣に抜擢された事に義豊側近らが激しく嫉妬していた。
義豊が二十歳になった天文2年になってようやく北条氏の侵攻が収まったため、実堯は義豊への家督移譲を決意した。だが、それとは入れ違いに宮本城では義豊の側近たちが「実堯は正木通綱とともに息子・義堯を次期当主にすえようと企んでいる」という讒言を行い、これを聞いた義豊が激怒して、天文2年7月27日の夜に稲村城を襲って実堯とこれを補佐する正木通綱を殺害したのである。
上総にいた義堯は正木通綱の子である正木時茂時忠兄弟と連絡を取って敵討ちを図ろうとした。義豊軍は正木氏の居城・安房山之城を攻撃したものの失敗に終わった。一方、義堯は仇敵である北条氏綱に同盟を依頼した。
翌年、義堯は北条氏綱らの援軍を受けて全軍を率いて上総を出発した。義堯は出発前、密かに義堯が全軍で迂回して安房にいる義豊のいる稲村城を直接奇襲するつもりであるとの噂を流した。これを信じた義豊が先手を打つべく上総に向かって兵を北上させたところ、犬掛(現在の千葉県南房総市)で義堯軍の待ち伏せにあった。突然の奇襲に混乱に陥った義豊軍は潰走し、勢いに乗じた義堯軍は義豊が籠城を図ろうとした稲村城内にまで突入した。このため、稲村城を支える事も出来なくなった義豊は稲村城を脱出したものの進退窮まって自害して果てた。
こうして父の仇を討った里見義堯が非道な義豊に代わって里見氏の家督を継ぐことになったのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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