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大道健二 : ミニ英和和英辞書
大道健二[だいどう けんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大道 : [だいどう]
 【名詞】 1. main street 2. avenue 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [に]
  1. (num) two 

大道健二 : ウィキペディア日本語版
大道健二[だいどう けんじ]

大道 健二(だいどう けんじ、1982年8月21日 - )は、東京都葛飾区出身で阿武松部屋所属の元大相撲力士。本名は中西 健二(なかにし けんじ)、愛称はケンちゃん。身長187cm、体重172kg、血液型A型。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は東前頭8枚目(2012年9月場所)。年寄・小野川を襲名して、阿武松部屋で指導に当たる。
==来歴==
姉の勧めで小学校4年生の時から葛飾区白鳥相撲教室で相撲を始め、目黒学院高校ではインターハイに出場、専修大学では東日本体重別無差別級優勝という実績を残した。なお、2年時に母ががんで死去するという苦難を経験している。〔賭博謹慎から2年大道6連勝/名古屋場所  nikkansports.com  2012年7月14日9時21分 紙面から〕当初はプロ志望では無かったが希望の進路に進めなかったこともあり〔ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年3月号(春場所展望号) 42頁〕、大学卒業後は阿武松部屋に入門して2005年3月場所に初土俵を踏んだ。
2005年5月場所に7戦全勝で序ノ口優勝、翌7月場所には再び7戦全勝で序二段優勝と華々しい成績を挙げて幕下までは順調に出世したが、その後は長く足踏みが続いた。西幕下5枚目まで番付を上げた2009年3月場所では場所前に顎を骨折して全休。この怪我により10日間を流動食のみで過ごし、一時は平常より体重が15kg減ってしまった。翌5月場所から勝ち越しを続けて再び幕下上位まで番付を戻した。西幕下3枚目の位置で迎えた2010年1月場所では4勝3敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で翌3月場所における新十両への昇進が決定し、同時に四股名を本名の「中西」から「大道」と改めた。同じ阿武松部屋の益荒海と同時の新十両昇進となり、同部屋から同時に新十両への昇進を果たすのは2008年1月場所での春日野部屋木村山栃ノ心)以来のこととなった。専修大相撲部出身者からは武双山片山に続く3人目の関取力士となった。
新十両の場所となった2010年3月場所では9勝6敗と勝ち越し、続く5月場所でも10勝5敗という好成績を収めたものの、2010年に発覚した大相撲野球賭博問題において野球賭博に関与したという理由により特別調査委員会から同年7月場所における謹慎休場を勧告されたため〔朝日新聞 2010年6月29日〕、翌7月場所を全休し、続く9月場所において幕下へと陥落した。なお、大相撲野球賭博問題に関しては、本人は2011年3月3日に賭博開帳図利書類送検され、同年3月17日には賭博罪で起訴されている〔野球賭博:現役力士など9人 単純賭博罪で略式起訴  毎日新聞(毎日jp) 2011年3月17日〕。
謹慎処分の結果として幕下へ陥落した2010年9月場所では西幕下筆頭の位置で4勝3敗と勝ち越し、翌11月場所において1場所での十両復帰を果たすと、その11月場所と続く2011年1月場所と2場所連続して9勝6敗の成績を挙げて勝ち越し、大相撲八百長問題による翌3月場所の中止を挟んで、同年5月技量審査場所においても東十両4枚目の位置で8勝7敗と勝ち越しを決めて、翌7月場所において新入幕を果たした。2012年7月場所では初日から7連勝と非常に好調で、給金相撲で3連敗するなど後半はやや失速したものの、11日目に勝ち越しを決めて最終的に10勝5敗という好成績を収めた。〔『相撲』2012年8月号63頁の記事には「今までの勝ち越しと全然違う。いつもは叩きばかりだったけど、今場所は叩きもないので本当に勝ち越したんだなと思う。」と自身が会心の相撲ぶりを喜んでいた様子が報告されていた。〕2013年7月場所は初日から14連敗を喫する絶不振ぶりであったが、千秋楽の富士東戦でやっと白星を上げ、幕内皆勤全敗を免れた。〔大道 泥沼の14連敗…22年ぶり全敗に“王手” スポニチアネックス 7月21日(日)7時22分配信〕 その次の9月場所でも6勝9敗と負け越したが翌11月場所は番付運に恵まれ東十両9枚目からわずか1枚半減の西十両10枚目の地位で土俵に上がり、正念場となるこの場所は14日目に勝ち越しを決めて最終的に9勝6敗で終えた。2014年3月場所は東十両5枚目の番付で、7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、この日の取組に十両全勝優勝の快挙がかかっていた豊真将に勝つ殊勲の星で勝ち越した。
2015年11月場所、西十両13枚目で6勝9敗と負け越し、2016年1月場所では西幕下2枚目に陥落したが、9日目までに1勝4敗と負け越した。1月21日、現役を引退し年寄小野川を襲名することになった。 国技館内で師匠の阿武松親方とともに引退会見に応じた大道は「小学校の時から相撲をやらせていただいた。すごい充実した相撲生活だった」と話し、さらに「阿武松部屋に入門できたことが一番良かった。自分の実力は大学生のときに分かっていて、十両に上がれないだろうと思って入ったけど、親方の厳しい指導で、上げてもらった。実力以上のものが出せた」と振り返った。引退後については「少しでも(阿武松)親方の力になれるよう、サポートできる親方になりたい。自分は地味な力士だったけど、お客さんがあいつの相撲は良かったと言ってくれるような弟子を育てたい」と語った。〔元幕内大道が引退「すごい充実した相撲生活だった」  日刊スポーツ 2016年1月21日16時17分〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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