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大南博美 : ミニ英和和英辞書
大南博美[おおみなみ ひろみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

大南博美 : ウィキペディア日本語版
大南博美[おおみなみ ひろみ]

大南 博美(おおみなみ ひろみ、1975年11月15日 - )は、福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町)出身の陸上競技長距離走マラソン)選手である。また2002年4月ロッテルダムマラソン覇者で、世界陸上エドモントン大会世界陸上パリ大会女子マラソン代表の大南敬美は、双子の妹である(区別は、髪が短い方が姉の博美、長い方が妹の敬美である)。
町立三方中学校・福井県立美方高等学校卒業。東海銀行UFJ銀行トヨタ車体を経て、現在はユティック所属。
== 来歴 ==
中学時代より妹の敬美と福井県内の陸上大会で活躍。美方高校時代は、竹中奈緒(元沖電気宮崎)ともに全国高校駅伝に出場し、平成5年時の1時間11分7秒は現在まで福井県記録となっている。東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)就職後は、竹内伸也監督のもと、妹の敬美とともに着実に力をつけていった。
初マラソンは1999年3月14日名古屋国際女子マラソンで、優勝のモルグノワ(ロシア)、2位の市河麻由美に続いて3位入賞。しかし、2002年10月13日釜山アジア競技大会女子マラソンでは、優勝を期待されながらも3位の銅メダル獲得に留まるなど、なかなかレースで結果を残せず、かつてマラソンの実績および世界陸上の日本代表は、妹の敬美に先を越された形となっていた。それでも、2004年9月26日ベルリンマラソンで2位入賞を果たし、敬美の自己記録を17秒上回る、2時間23分26秒の好記録を出している(優勝は当時日本最高記録達成の渋井陽子)。又同年7月の札幌国際ハーフマラソンでも、ハーフの自己新記録で初優勝を成し遂げた。
UFJ銀行陸上部廃部が決まった後、2005年1月30日大阪国際女子マラソンは、10km過ぎから独走となるも力みもあって後半ペースダウンし6位に終わる。その後、同年6月日本陸上選手権女子10000mでは自己ベストを記録して3位入賞を果たし、念願の世界陸上ヘルシンキ大会日本代表に選出された。しかしながら同年8月の世界陸上女子10000m本番では、スタート直後の転倒が響いて、32分02秒38の21位に終わっている。
翌2006年6月の日本選手権では32分14秒73のタイムで2位入賞。そして12月ドーハアジア競技大会女子10000mでは、32分18秒02のタイムで3位でゴール、銅メダルを獲得した(優勝は福士加代子)。
2007年4月15日ロッテルダムマラソンは、気温29度という高温の悪条件の中、レース後半は独走となり、海外のメジャーマラソン初優勝を果たした。その後も妹の敬美と共に2008年北京オリンピック出場を目指して、同年11月18日東京国際女子マラソンに出走したが、優勝した野口みずきらに及ばず5位に留まった。翌2008年11月23日名古屋ハーフマラソンは、1時間09分31秒のタイムで同大会初優勝。
2010年3月14日の名古屋国際女子マラソンは、同年3月31日限りで廃部となるトヨタ車体所属として最後のレースに出走(妹・敬美は不調のため出場を見送り、姉・博美の応援役に廻っていた)。レース序盤から29Km付近まで、自ら積極果敢に先頭集団を引っ張り続けた。29Km以降は優勝した加納由理らについていけなかったが、粘りの走りを見せて3位に入る。フィニッシュ直後の博美は、ゴール地点で待機していた妹の敬美と抱擁し、二人共に感極まって涙を流していた。
2010年11月11日、故郷・福井県(坂井市)の染色加工会社ユティックへ妹・敬美と共に所属、現役選手を続行する事を発表した。同年11月23日の名古屋ハーフマラソンは、1時間14分50秒の2位でゴール。翌2011年2月20日青梅マラソン(30Km)は1時間46分27秒で優勝した。しかし出場予定だった同年3月13日名古屋国際女子マラソンが本番前に発生した東日本大震災により中止、同年4月18日ボストンマラソンに姉妹揃って出走したが、太股痛が響いて91位に終わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大南博美」の詳細全文を読む




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