翻訳と辞書
Words near each other
・ 大内平吉
・ 大内延介
・ 大内弘
・ 大内弘世
・ 大内弘家
・ 大内弘幸
・ 大内弘成
・ 大内弘盛
・ 大内弘興
・ 大内弘茂
大内弘貞
・ 大内惟信
・ 大内惟義
・ 大内慶
・ 大内持世
・ 大内持盛
・ 大内政之介
・ 大内政弘
・ 大内政民
・ 大内政男


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大内弘貞 : ミニ英和和英辞書
大内弘貞[おおうち ひろさだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 

大内弘貞 : ウィキペディア日本語版
大内弘貞[おおうち ひろさだ]

大内 弘貞(おおうち ひろさだ)は、周防国在庁官人大内氏の第4代当主。
== 生涯 ==
祖父・満盛鎌倉幕府の設立に貢献し、周防・長門国における領地を広げたが、西国武士ということもあって完全なる幕府の管轄は受けなかった。
しかし、弘貞は幕府の御家人に近いような振る舞いをするようになり、幕府による閑院御所の造営にも加担した。弘安4年(1281年)の元寇の際には幕命を受けて、豊前国へ進出。軍に備えた。
弘貞は信仰心篤い武将で、古尾にあった八幡宮を分けて、須川に北方八幡宮を、そして吉沢に南方八幡宮を建立した。さらに康元2年/正嘉元年(1257年)に興隆寺に鐘を寄進。文永3年(1266年)、宮野中村熊坂に大照寺を創建した。現在も残る右田ヶ岳観世音菩薩縁起についても、文永11年(1274年)に弘貞が夢を見たことをきっかけに堂宇を建てて、観世音菩薩像を収めて連日参詣し、周防国の守護仏としたことが始まりとされる。その他瑞雲寺柳井市)等周防国内の多くの寺院の創建に関わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大内弘貞」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.