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埒免古墳 : ミニ英和和英辞書
埒免古墳[らちめんこふん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [らち]
 【名詞】 1. bounds 2. limits
: [めん]
 (n) dismissal
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古墳 : [こふん]
 【名詞】 1. ancient (mound) tomb 

埒免古墳 : ウィキペディア日本語版
埒免古墳[らちめんこふん]

埒免古墳(らちめんこふん)は、三ノ宮古墳群〔伊勢原市三ノ宮周辺には多くの古墳が存在し、古墳群を形成しているが、古墳群の名称は現在のところまだ決まったものはなく、例えば「比々多、三ノ宮地区の古墳群(田尾(2007))」などと表現されている。ここでは西川(2007)が使用している三ノ宮古墳群を採用した。〕に属する神奈川県伊勢原市にある、6世紀末から7世紀初頭に築造された円墳である。恵泉女学園園芸短期大学の建設工事中に発見され、短大の敷地内にあったため「恵泉女子短大構内古墳」と呼ばれていたこともあった〔神奈川県県民部県史編集室『神奈川県史 資料編20 考古資料』(1979)p.183、伊勢原市史編集委員会『伊勢原市史 通史編 先史・古代。中世』(1995)p.170〕。
== 古墳の概要 ==
埒免古墳は丹沢山地南麓に広がる丘陵地帯にある円墳で、相模国三ノ宮として知られる比々多神社の北西約200メートルのところにある。新編相模国風土記稿によれば、かつて比々多神社は埒免古墳のある場所にあったが〔神奈川県県民部県史編集室『神奈川県史 資料編20 考古資料』(1979)p.183、伊勢原市史編集委員会『伊勢原市史 通史編 先史・古代。中世』(1995)p.170、田尾(2007)p.156〕、室町時代から戦国時代にかけて神社は衰えて荒廃し、天正年間の初めになって現在の場所に移転したとされている〔『大日本地誌大系21 新編相模国風土記稿第三巻』p.98〕。
埒免古墳は直径38メートルの円墳で、墳丘周囲には約5メートルの周溝がある。埋葬施設は幅約2メートル、長さ約4.8メートルの玄室と、幅約1メートル、長さ約4メートルの、自然石の巨石を積み上げて築造された片袖式横穴式石室である〔田尾(2007)p.158、柏木(2009)p.115〕。古墳の築造時期は600年頃と考えられ、当時の相模国では最大級の古墳で、古墳の被葬者としては相武国造が想定されている〔西川(2007)pp.40-45、田尾(2007)pp.160-161〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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