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北海道異体文字 : ミニ英和和英辞書
北海道異体文字[ほっかいどういたいもじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
北海 : [ほっかい]
 【名詞】 1. northern sea 2. North Sea 
北海道 : [ほっかいどう]
 【名詞】 1. northernmost of four main islands of Japan 
海道 : [かいどう]
 【名詞】 1. sea route 
: [い]
 (pref) different
異体 : [いたい]
 (n) different body
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文字 : [もじ, もんじ]
 【名詞】 1. letter (of alphabet) 2. character 
: [じ, あざな]
 【名詞】 1. character 2. hand-writing 

北海道異体文字 : ウィキペディア日本語版
北海道異体文字[ほっかいどういたいもじ]
北海道異体文字(ほっかいどういたいもじ)は、1886年明治19年)頃に北海道で発見された文字アイノモジ〔吾郷(1975)における片仮名表記。漢字表記としては「夷奴字」あるいは「夷奴文字」を用いている。また「アイヌ古字」や「蝦夷古字」とも称している。〕、アイヌ文字〔原田(2007)〕とも呼ばれる〔坪井正五郎「北海道諸地方より出でたる古器物上に在る異体文字」では単に「異体文字」と称している。落合直澄『日本古代文字考』では「夷奴字」(傍訓は「アイノモジ」)ないしは「蝦夷字」、または「北海道異体文字」という語を用いており、この記事では後者の名称を採用している。〕。

== 発見と研究 ==
東京人類学会の会員であった荘司平吉は北海道においてアイヌ民具などを収集していたが、その中には文字の記された古器物が存在していた。1886年(明治19年)9月6日の『陸奥新報』と同月12日の『奥羽日日新聞』にその一部である樹皮が紹介され、榎本武揚が千年ほど前に蝦夷が用いた文字であろうと鑑定している。また同年12月の第25回東京人類学会では、文字の記された古器物として獣皮・六角四面の石片・和紙鞘袋が荘司により出品された。
人類学者坪井正五郎は、翌1887年(明治20年)2月の『東京人類学会報告』第12号において「コロボックル北海道に住みしなるべし」を発表し、自身のコロボックル説に基づき荘司の収集した古器物に見られる「異様の文字」について、後述する手宮洞窟の彫刻や忍路環状列石と同様にコロポックルのものであるとした。
また坪井は同年8月の『東京人類学会雑誌』第18号にて「北海道諸地方より出でたる古器物上に在る異体文字」を発表し、この「異体文字」について手宮洞窟の彫刻とは異なり記号が規則的に並んでいることから文字であると断言して差支えないとした上で、ユーラシア大陸から渡来した人々によって用いられたものである可能性を示唆した〔なお原田(2007)では「アイヌ文字」に関する文献として『東京人類学会雑誌』第5巻第54号(明治23年[1890年]9月)に掲載される坪井正五郎「重ねてアイヌ木具貝塚土器修繕法の符合は貝塚土器のアイヌの遺物たるを証する力無き事を述ぶ 」 をあげているものの、そこに北海道異体文字に関する記述は確認できない。〕。
同年10月の『東京人類学会雑誌』第20号では荘司自身により「アイノ及び北海道の古代文字」が発表されている。その中で荘司は確証はないとしながらも、古い時代に蝦夷が用いた文字ではないかとしている。
1888年(明治21年)には国学者落合直澄によって『日本古代文字考』が著された。同書では北海道異体文字について、日本語が通じず漢字を用いない蝦夷によって用いられたものとしている。そして14の記号を組み合わせた50の文字とそれらの合字から成り立っているとしたが、読み方が伝わらないために解読はできないとする。また平田篤胤の著した『神字日文伝』附録疑字篇に採録される出雲石窟の文字〔ただし落合はこの出雲の書島石窟に記された文字とされるものについて、出雲に「書島」という名称の島は確認できないため、実は出雲ではなく陸奥の辺りに伝えられたものではないかとしている。〕や「神代十干」〔ただし落合は、この記号を十干とするのは後世の人間による付会であるとしている。〕、落合が実見したとされる吉見百穴の文字〔落合は「松山百穴古字」と称している。〕との関連を示唆している。
以下に北海道異体文字の発見に関する年表を記す。
* 1886年8月 - 荘司が北海道異体文字の記された石6個を宗谷へ「古物捜索に参りし者」より入手。
* 同年9月 - 『陸奥新報』と『奥羽日日新聞』に文字の記される古器物が紹介され、榎本武揚が鑑定。
* 同年12月 - 第25回東京人類学会に北海道異体文字が記される古器物が出品され、坪井正五郎が調査。
* 1887年2月 - 坪井「コロボックル北海道に住みしなるべし」
* 同年同月 - 荘司が北海道異体文字の記された石片2個を岩内郡のアイヌより入手。
* 同年8月 - 坪井「北海道諸地方より出でたる古器物上に在る異体文字」
* 同年10月 - 荘司「アイノ及び北海道の古代文字」
* 1888年4月 - 落合直澄が大江卓を訪ね、北海道異体文字について調査。
* 同年5月 - 落合『日本古代文字考』
1975年昭和50年)には吾郷清彦によって『日本神代文字』が著された。同書において吾郷は「アイノモジ」について、後述の「手宮古字」と同系の文字であるとし、またフゴッペ洞窟の彫刻との関連も示唆している。
また高橋良典が会長を務める日本探検協会では、北海道異体文字を含む神代文字超古代文明の関連を主張している。そして北海道異体文字については、メソポタミア古代文明であるシュメールアッシリアとの関連を示唆している。またフゴッペ洞窟の彫刻の一部について、北海道異体文字を記したものと主張している。
2007年平成19年)には原田実によって『図説神代文字入門』が著されている。同書では「アイヌ文字」に関連して以下のように述べている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北海道異体文字」の詳細全文を読む




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