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北条為昌 : ミニ英和和英辞書
北条為昌[ほうじょう ためまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [ため]
 【名詞】 1. good 2. advantage 3. benefit 4. welfare 5. sake 6. to 7. in order to 8. because of 9. as a result of 

北条為昌 : ウィキペディア日本語版
北条為昌[ほうじょう ためまさ]
北条 為昌(ほうじょう ためまさ、永正17年(1520年) - 天文11年5月3日1542年6月15日))は、戦国時代武将北条氏綱の三男。通称は彦九郎。側室に養勝院。養子に北条綱成(ただし為昌より年長である)。養女に松田盛秀の妻。また、綱成実弟の北条綱房(福島勝広)も養子であったとする説もある。
叔父の北条氏時が死去すると、後を継いで12歳で玉縄城主となり享禄5年(1532年)7月23日には朱印状を発行している。しかし元服前だったようで大道寺盛昌や(のちに養子となる)北条綱成などが彼の補佐にあたっている。以後、武蔵国川越城小机城相模国三崎城などの城主・城代を勤めた。
また、天文初年には、造営総奉行に任じられた大道寺盛昌笠原信為とともに鎌倉鶴岡八幡宮の再建も行っている。尚、「為昌」の名前もこの信・盛双方から1字を与えられて名乗ったものと思われる(特に盛昌は、元服の際の烏帽子親を務め、その後も後見人として為昌を補佐している)。以後、寺社関連の日記に度々登場するが、天文8年(1539年)頃から名前が見えなくなり、この頃から病に臥していたと思われ、天文11年(1542年)に23歳の若さで没した。法名は本光院殿竜淵宗哲禅定門。子がなかったため、綱成が為昌の養子となる形で家督を継いだ。為昌以降の家系を玉縄北条氏という。
== 参考文献 ==

* 『歴史群像シリーズ14 真説戦国北条五代 早雲と一族、百年の興亡』(1989年、学習研究社) ISBN 405105151X
* 黒田基樹『戦国 北条一族』(新人物往来社、2005年) ISBN 440403251X
* 『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年、ISBN 4490106963



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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