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北村季吟 : ミニ英和和英辞書
北村季吟[きたむら きぎん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 

北村季吟 : ウィキペディア日本語版
北村季吟[きたむら きぎん]

北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日1625年1月19日) - 宝永2年6月15日1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。
== 経歴 ==
出身は近江国野洲郡北村(現在の滋賀県野洲市)。祖父の宗龍、父の宗円を継いで医学を修めた。
はじめ俳人安原貞室に、ついで松永貞徳について俳諧を学び、『山之井』の刊行で貞門派俳諧の新鋭といわれた。飛鳥井雅章清水谷実業(しみずだにさねなり)に和歌歌学を学んだことで、『土佐日記抄』、『伊勢物語拾穂抄』、『源氏物語湖月抄』などの注釈書をあらわし、元禄2年(1689年)には歌学方として500石にて子息湖春と共に幕府に仕えた。以後、北村家が幕府歌学方を世襲した。
俳諧は貞門派の域を出なかったが、『新続犬筑波集』、『続連珠』、『季吟十会集』の撰集、式目書「埋木(うもれぎ)」、句集「いなご」は特筆される。山岡元隣松尾芭蕉山口素堂など優れた門人を輩出している。
台東区池之端の正慶寺に季吟の墓(東京都史跡)があり、墓石正面に「再昌院法印季吟先生」、墓石側面に「花も見つ 郭公(ほととぎす)をもまち出でつ この世 後の世おもふ事なき」と辞世の句が刻まれている。
末裔に、長野県県歌信濃の国』を作曲した北村季晴および元サッカー日本代表数学者北村春吉がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北村季吟」の詳細全文を読む




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