翻訳と辞書
Words near each other
・ 兼ね仕える
・ 兼ね備える
・ 兼ね兼ね
・ 兼ね合い
・ 兼ね役
・ 兼三 (呼出)
・ 兼下真由子
・ 兼久りみ
・ 兼二浦
・ 兼二浦製鉄所
兼仁親王
・ 兼任
・ 兼任の乱
・ 兼併
・ 兼俊
・ 兼俊の母
・ 兼修
・ 兼備
・ 兼元謙任
・ 兼光


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

兼仁親王 : ミニ英和和英辞書
兼仁親王[けん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [にん, じん]
 (n) kernel
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

兼仁親王 ( リダイレクト:光格天皇 ) : ウィキペディア日本語版
光格天皇[こうかくてんのう]


光格天皇(こうかくてんのう、明和8年8月15日1771年9月23日) - 天保11年11月18日1840年12月11日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日1780年1月1日) - 文化14年3月22日1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
== 系譜 ==
閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子。母は大江磐代鳥取藩倉吉出身の医師岩室宗賢の娘)。践祚前の安永8年11月8日(1779年12月15日)に危篤の後桃園天皇の養子となり、儲君に治定される(実際には天皇は前月中既に崩御しており、空位を避けるために公表されていなかった)。桃園天皇後桜町天皇はまたいとこである。また、江戸幕府将軍徳川家治の御台所倫子女王は実の叔母(実父の妹)に当たる。つまり、光格天皇は家治の義理の甥でもある。
*中宮欣子内親王(新清和院、1779-1846) - 後桃園天皇皇女
 *第五皇子:温仁親王(1800)
 *第九皇子:悦仁親王(高貴宮、1816-1821)
*典侍:葉室頼子(民部卿典侍、1773-1846) - 葉室頼熙
 *第二皇子:礼仁親王(哲宮、1790-1791)
 *第一皇女:能布宮(1792-1793)
 *第四皇子:俊宮(1793-1794)
*典侍:勧修寺婧子(東京極院、1780-1843) - 勧修寺経逸
 *第六皇子:恵仁親王(仁孝天皇、1800-1846)
 *第二皇女:多祉宮(1808)
 *第四皇女:宮(1817-1819) - 「」は女偏に成
*典侍:高野正子(督典侍、1774-1846) - 高野保香女、園基理養女
 *第八皇子:猗宮(1815-1819)
*典侍:姉小路聡子(新典侍、1794-1888) - 姉小路公聡
 *第五皇女:永潤女王(倫宮、1820-1830) - 大聖寺門跡
 *第八皇女:聖清女王(媛宮、1826-1827)
 *第十皇子:嘉糯宮(1833-1835)
*掌侍東坊城和子(新内侍、1782-1811) - 東坊城益長
 *第七皇子;桂宮盛仁親王(1810-1811) - 桂宮第10代
 *第三皇女:霊妙心院宮(1811)
*掌侍:富小路明子(右衛門掌侍、?-1828) - 富小路貞直
 *第六皇女:治宮(1822)
 *第七皇女:蓁子内親王(1824-1842) - 宝鏡寺
 *第九皇女:勝宮(1826-1827)
*掌侍:某氏(長橋局) - 父不詳
 *皇女:受楽院宮(1792) - 流産。皇子説あり
*生母未詳
 *皇女:開示院宮(1789) - 流産。皇子説あり

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「光格天皇」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.