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儒礼尼師今 : ミニ英和和英辞書
儒礼尼師今[じゅれい にしきん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じゅ]
 【名詞】 1. Confucianism 2. Confucianist 3. Chinese scholar
: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 
: [あま]
 【名詞】 1. (col) nun 2. bitch 
: [し]
 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
: [こん]
 【名詞】 1. this 2. now

儒礼尼師今 : ウィキペディア日本語版
儒礼尼師今[じゅれい にしきん]

儒礼尼師今(じゅれい にしきん、生年不詳 - 298年)は、新羅の第14代の王(在位:284年 - 298年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の長男で、母は葛文王(朴)奈音〔第10代奈解尼師今(昔氏)の第二子の昔利音が、別名で奈音とされている。〕の娘であり、ある夜に星の光が口の中に入り身ごもったといい、誕生した日の夕方に芳香が立ち込めたという。『三国遺事』王暦では世理智王とも記される。
三国史記』新羅本紀・儒礼尼師今紀では分注において、「古記によれば第3代の儒理尼師今と第14代の儒礼尼師今とが同じであり、いずれが正しいのか判らない」としている。
==治世==
286年1月に百済が講和を求めて使者を送ってきた。この後、295年春にへの対抗の必要から百済と和することを群臣に諮ったが、舒弗邯(1等官の伊伐飡の別名)の弘権の反対を受けて、百済との和親を見送った。倭との交戦については、
*287年4月、倭人が一礼部〔一礼部を「一利郡」と解して慶尚北道星州郡星州面に比定する説がある。(→井上訳注1980 p.66)〕に来たり、集落に放火して周り、1千人を捕虜にして立ち去った。
*292年、倭兵が沙道城(慶尚北道浦項市)を陥落させようとしたので一吉飡の大谷に命じて救援させた。
*294年、倭兵が長峯城を攻めたが、勝てなかった。
などとあり、また、沙道城を改築して沙伐州(慶尚北道尚州市)の有力な80余家を移住させ、倭に備えたという。
297年、伊西国(伊西古国とも。慶尚北道清道郡)に攻められ首都金城(慶州市)を包囲されるが、竹葉軍の助力を得てこれを退却させることに成功したという。
在位15年にして298年12月に死去した。埋葬地は伝わらない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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