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佐藤尚武 : ミニ英和和英辞書
佐藤尚武[さとう なおたけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [なお]
  1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less 
尚武 : [しょうぶ]
 【名詞】 1. militarism 2. warlike spirit

佐藤尚武 : ウィキペディア日本語版
佐藤尚武[さとう なおたけ]

佐藤 尚武(さとう なおたけ、1882年明治15年)10月30日 - 1971年昭和46年)12月18日)は、日本外交官政治家林内閣外務大臣、戦後には参議院議長等を歴任、第二次世界大戦末期のソ連対日参戦当時の駐ソビエト連邦大使でもあった。
1931年(昭和6年)、勲一等瑞宝章1934年(昭和9年)、旭日大綬章、没後旭日桐花大綬章を追贈される。従二位
== 経歴 ==
大阪府生まれ。弘前藩士沖縄県警察部長・田中坤六の二男として生まれ、外交官佐藤愛麿の養子となる。旧制正則中学校(正則高等学校の前身)卒。1904年(明治37年)、東京商業学校一橋大学の前身)全科卒。同専攻部領事科へ入学。
1905年(明治38年)、外交官及び領事官試験に合格し外務省入省。在ロシア公使館外交官補(のち三等書記官)、ハルビン領事(のち総領事)、在スイス公使館一等書記官、在フランス大使館一等書記官、在ポーランド公使を経て、1927年(昭和2年)、国際連盟帝国事務局長。1929年(昭和4年)、ロンドン海軍軍縮会議事務総長。1930年(昭和5年)、駐ベルギー特命全権大使。このベルギー大使在任時の1931年9月、国際連盟第12回総会に出席中満州事変勃発の報が入り、直後の国際連盟第65回理事会で佐藤は中国の理事からの非難に直面することとなる〔NHK取材班、1995年、p76 - 78〕。続く第66回理事会は第一次上海事変のあとに開かれ、ここで佐藤は世界からの非難を一身に受けながら日本の立場の説明をおこなうとともに、政府に対しては自制を訴えた〔。しかし日本は満州国を承認、1933年(昭和8年)の国際連盟総会でリットン調査団による報告書の採択の際は、代表団の一員として松岡洋右主席代表や長岡春一駐フランス大使とともに議場を退席した。同年、駐フランス特命全権大使。1935年(昭和10年)、入省30年を迎えたのを機に辞任を申し出、翌年退任する〔。
1937年(昭和12年)、日本への帰国早々林内閣で外務大臣に就任。佐藤は入閣の条件として、平和協調外交、平等の立場を前提とした話し合いによる中国との紛争解決、対ソ平和の維持、対英米関係の改善の4つを林首相らに提示し、これを確認した上で就任を受諾した〔。だが、就任直後の帝国議会で、持論の中国との話し合いを説き、戦争勃発の危機は日本の考え方次第であると述べた内容が、軍部や右翼から「軟弱外交」と非難を浴びることになった。そうした状況でも関東軍が推し進めた華北分離工作に反対し、中国との対立を避けるためにその具体策として日華貿易協会会長児玉謙次を団長とする経済使節団を中国に派遣した。使節団の一行は、3月12日に神戸港を出帆して中国に渡り、蒋介石と会見し、中国政府要人及び経済人と26日まで幾度か会合し、協議した。しかし林内閣の総辞職とともに退任。その直後に盧溝橋事件が起きた。
1938年(昭和13年)、外務省外交顧問。1940年(昭和15年)、駐イタリア特命全権大使。1942年(昭和17年)、東郷茂徳外務大臣に請われ駐ソビエト連邦特命全権大使就任。1946年(昭和21年)、枢密顧問官
1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙青森県選挙区から出馬し参議院議員に当選。以後、第3回第5回通常選挙で当選し、連続3期務めた。
参議院議員時代に緑風会の結成に参加した。阿波丸事件において賠償権放棄の決議案提出に提出者の1人として関わるが、その内容には批判的だった。1947年、出淵勝次の死去に際しては、参議院本会議で弔意決議案を提出した。
1965年(昭和40年)7月、第7回通常選挙に出馬せず引退。参議院では、1948年(昭和23年)、参議院外交委員長、1949年(昭和24年)参議院議長などを歴任。その他、1953年(昭和28年)、伊勢神宮奉賛会初代会長、また日本国際連合協会会長等も務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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