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佐藤基治 : ミニ英和和英辞書
佐藤基治[さとうはじめち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

佐藤基治 : ウィキペディア日本語版
佐藤基治[さとうはじめち]

佐藤 基治(さとう もとはる)は、奥州信夫郡(現在の福島県福島市飯坂地区)に勢力を張り大鳥城(現在の舘の山公園)に居城した武将源義経の従者佐藤継信忠信の父である。
==概説==
奥州信夫郡の佐藤氏一族。信夫庄司と呼ばれていたが、飯坂温泉の湧く地であるため湯の庄司とも呼ばれた。奥州藤原氏2代当主藤原基衡の時代、康治元年(1142年)、陸奥藤原師綱が信夫郡の公田検注を実施しようとした際に基衡の意を受けてこれを妨害し、のちに斬首された大庄司佐藤季治が父親に当たる可能性もあるが、各地の佐藤氏の家系図には見られない。『尊卑分脈』によれば従五位下左兵衛尉佐藤帥治の長男とする。佐藤一族の事跡に詳しい福島大学の客員教授菅野円蔵の著書『大鳥城記』によれば、基治の母は藤原公景の娘。妻は先に源頼朝の臣上野国の大窪太郎の娘を娶り、前信及び治清の二子があった。後基衡の弟清綱(亘理権十郎)の娘で秀衡のいとこに当たる乙和子姫を迎え奥州藤原氏と強固な関係を結んだ。さらに乙和子姫には、継信・忠信・藤の江・浪の江などの子があったが、その藤の江を秀衡の三男忠衡に娶わせ岳父として同盟関係を築いた。
歴史学者の角田文衛によると、当時としては珍しい佐藤一族の義経に対する熾烈とも見える忠節は、君臣の関係だけでは説明がつきにくく、義経が平泉時代に迎えた妻は、佐藤基治の娘であったのではないかとする説を唱えている。飯坂の佐藤氏系図のひとつに基治女・浪の戸(源義経側室)とある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤基治」の詳細全文を読む




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