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伯爵戦争 : ミニ英和和英辞書
伯爵戦争[はくしゃくせんそう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

伯爵戦争 : ウィキペディア日本語版
伯爵戦争[はくしゃくせんそう]

伯爵戦争(はくしゃくせんそう、、、1534年 - 1536年)はデンマークで発生した内乱。伯爵戦争の名称は退位したクリスチャン2世の復位を目指したオルデンブルク伯爵クリストファ(以下、クリストファ伯)に由来する。伯爵戦争の結果、クリスチャン3世が勝利し、デンマーク王室は王権を拡大、宗教改革を進展させていくとともに ノルウェーはデンマークの属州となった(デンマーク=ノルウェーの成立)。また、外交面ではハンザ同盟の衰退が決定的となる一方、デンマークとスウェーデン北海バルト海の覇権を巡り、対決していく端緒となった。
== 背景 ==

伯爵戦争前夜の北欧の状況を、外交面、内政面、宗教面、経済面から以下に記述していく。
外交面では、1397年マルグレーテ1世の手によりカルマル同盟が結成されると、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの地域はデンマーク王が統べることとなった。しかし、エーリク7世の治世下、中央集権化を図るデンマークと自立を目指すスウェーデンの対立が激しくなった。クリストファ3世が後継者を残すことなく死去すると、デンマークの貴族たちから構成されるデンマーク王国参事会 (en / da) はクリスチャン1世を選出する一方、スウェーデンの貴族たちから構成されるスウェーデン王国参事会はオクセンシェルナ家を擁立、双方の対立は激化することとなった。クリスチャン1世、そしてその後継のハンスは王権強化とカルマル同盟維持のため、スウェーデンへの出兵を繰り返したが芳しい成果をあげられなかった。ハンスの後を襲ったクリスチャン2世は1520年11月、ストックホルム攻略に成功したものの反対派を粛清した(ストックホルムの血浴)結果、1523年にはグスタフ・ヴァーサの指揮の下、スウェーデンは独立、カルマル同盟は崩壊することとなった〔牧野(1999) p.42〕〔熊野・牧野・菅原(1999) pp.109-114〕。
内政面では、デンマークの貴族の選挙によりオレンボー朝が成立したことから、デンマークの歴代国王は王権拡大が課題となっていった。クリスチャン2世は封建貴族の権力縮小を図るべく、農民や勃興する市民階級と提携しようと図ったものの、スウェーデン独立という外交の失策もあり、1523年にクリスチャン2世は国を追われ、1532年には幽閉されることとなった。そして、クリスチャン2世の廃位に成功した貴族・司教たちは彼の叔父に当たるフレゼリク1世を選出し、フレゼリク1世に対し王権の制限を承認させた〔佐保(1999) p.54〕。
宗教面では、マルティン・ルター1517年95ヶ条の論題を提出し宗教改革を実施したことから、プロテスタントの教えが北欧諸国にも及ぶようになった。カトリックの司教たちはプロテスタントの布教禁止をフレゼリク1世に要求し、フレゼリク1世は表面上、要求を呑んだが、息子のゴットープ公クリスチャン(後のクリスチャン3世、以下クリスチャン3世と表記)はプロテスタントであり、ハンス・タウセン (en) を庇護するなど、プロテスタントを容認していた。そして、1526年から1527年にかけてフレゼリク1世は、デンマーク国教会の実質上の成立ともいえる条件を司教たちに認めさせており、デンマーク国内では緩やかながらも宗教改革が進んでいった〔熊野・村井・本間・牧野・クリンゲ・佐保(1999) pp.133-134〕。
経済面では、ネーデルラントが台頭する一方、ハンザ同盟の頽勢は明らかになっており、ハンザ同盟の盟主であるリューベックは立て直しが課題となっていった。
このような状況下で1533年にフレゼリク1世が死去すると、それぞれの思惑が絡み、伯爵戦争につながっていく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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