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カルマル同盟 : ミニ英和和英辞書
カルマル同盟[かるまるどうめい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [どう]
 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. 
同盟 : [どうめい]
  1. (n,vs) alliance 2. union 3. league 

カルマル同盟 : ウィキペディア日本語版
カルマル同盟[かるまるどうめい]

カルマル同盟(カルマルどうめい)は、1397年デンマークノルウェースウェーデンの3王国間で締結された同盟物的同君連合)。締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれる。
1523年のスウェーデン独立以後は、デンマーク=ノルウェー二重王国となった。二重王国以後の歴史的、法的な経緯は、「デンマーク=ノルウェー」を参照のこと。
== カルマル同盟成立 ==
1397年にデンマーク王母マルグレーテによって、デンマークノルウェースウェーデンの3ヶ国による、デンマークを盟主にした王国同盟が結ばれた。同君連合の一種と見なされることが多いが、それよりもより結合力を強めた盟約であったらしい。なお、マルグレーテは女王に即位していないが、一般にマルグレーテ1世と呼ばれている。
初代君主エーリク7世はスレースヴィ(シュレースヴィヒ)、ホルステン(ホルシュタイン)への出兵と失敗を繰り返し、そのツケをスウェーデンやノルウェーへの増税で賄うなど、内外に不安定性を常に抱え込む状態が続いた。またエーレスンド海峡を通過する船に海峡税も課し、これがデンマークの莫大な財政収入を生んだ。デンマークは大国化したとは言え、内政では国王の絶対主義化はうまく行かず、常に貴族の介入を許した。貴族の勢力は強大で、1448年にようやく、オルデンブルク家が世襲王家として認められた(オレンボー朝)。
この王朝の下でデンマークは北欧の強国として成長し、1460年には懸案だったスレースヴィ=ホルステンの領有化に成功する(神聖ローマ帝国領のまま、一種の同君連合)。また海軍も強化し、宿敵であったハンザ同盟を破って、バルト海の盟主にもなった。この時代、デンマークは、北海からバルト海をまたぐ超大国であったと言える。
しかし、スウェーデンでは早くも独立へ向けた反乱が始まっていた。2代君主クリストファ3世の宰相カール・クヌートソンがスウェーデンで勢力を伸ばし、スウェーデンとノルウェーの王に即位した。3代君主クリスチャン1世はカールを撃破、ノルウェー王に即位したが、スウェーデンの支配は不安定で、クリスチャン1世とカールの即位と追放が繰り返された。4代君主ハンスがスウェーデン王に即位するのは1497年だが、その後も反乱は続いた。
またフィンランドなど北東の支配力は弱体で、1509年には、フィンランドトゥルクに侵攻し壊滅的なダメージを与えたが、結局撃退されてしまった。1497年に北欧王国同盟が結ばれ、カルマル同盟は強化されたが、次第にスウェーデンの分離は明らかな事態となっていった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルマル同盟」の詳細全文を読む




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