翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊東四郎
・ 伊東国際観光温泉文化都市建設法
・ 伊東園
・ 伊東園ホテル
・ 伊東園ホテルズ
・ 伊東塚
・ 伊東壮
・ 伊東壯
・ 伊東多三郎
・ 伊東大介
伊東大蔵
・ 伊東大藏
・ 伊東大貴
・ 伊東大輔
・ 伊東大輔 (タレント)
・ 伊東大輝
・ 伊東孝之
・ 伊東孝明
・ 伊東孝紳
・ 伊東宇佐美テレビ中継局


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊東大蔵 : ミニ英和和英辞書
伊東大蔵[そう, くら, ぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東大 : [とうだい]
 (n) (abbr) Tokyo University
大蔵 : [おおくら]
 【名詞】 1. Ministry of Finance 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

伊東大蔵 ( リダイレクト:伊東甲子太郎 ) : ウィキペディア日本語版
伊東甲子太郎[いとう かしたろう]
伊東 甲子太郎(いとう かしたろう、天保5年12月3日1835年1月1日) - 慶応3年11月18日1867年12月13日))は、新選組参謀及び文学師範、のち御陵衛士(高台寺党)盟主。武明(たけあき)。初名は大蔵(大藏)。号は誠斎。変名は宇田兵衛。
名前については「きねたろう」とも読めるが、同時代の史料に「樫太郎」と表記されたものがあることから、「かしたろう」が正しいとされる。
== 生涯 ==

=== 出自 ===
常陸志筑藩士(郷目付)鈴木専右衛門忠明の長男として生まれる。忠明が家老との諍いによって隠居した後、伊東が家督を相続したものの、後に忠明の借財が明らかになったことから家名断絶となり、一家は領外へ追放される。伊東は水戸へ遊学し、水戸藩士・金子健四郎に剣術(神道無念流剣術)を学び、また、水戸学を学んで勤王思想に傾倒する。追放後の忠明は高浜村東大橋(現石岡市)にて村塾(俊塾)を主宰し、帰郷した伊東も教授に当たった。後に江戸深川中川町北辰一刀流剣術伊東道場に入門するが、道場主の伊東誠一郎に力量を認められて婿養子となり、伊東大蔵と称した。元治元年8月当時水戸藩戸田銀次郎の家来であり、妻の名前はみつといい、えいという娘がいたことが記録されている〔「上 拾七番組」播磨新宮池田家記録、東京大学史料編纂所〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊東甲子太郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.