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仁志敏久 : ミニ英和和英辞書
仁志敏久[にし としひさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にん, じん]
 (n) kernel
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

仁志敏久 : ウィキペディア日本語版
仁志敏久[にし としひさ]

仁志 敏久(にし としひさ、1971年10月4日 - )は、日本の元プロ野球選手内野手)、野球解説者、野球指導者。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
茨城県古河市出身。常総学院高校では1年生からレギュラーを務め、エースの島田直也と共に活躍した。全国高等学校野球選手権大会に準優勝を1回含め3年連続で出場。高校通算28本塁打
早稲田大学人間科学部に進学後は野球部主将としてチームを牽引し、主に遊撃手として活躍。4年の六大学春季リーグではシーズン6本塁打を記録するなど活躍。ベストナインを3回獲得し、早慶戦史上初のサヨナラ満塁本塁打を放つ(その試合では2本目の本塁打)など活躍。4年の秋季リーグでは監督の石井連藏の起用方針に反発して選手だけでオーダーを作り、チームを優勝に導いた。自身は前年秋の早慶戦で優勝を逃すサヨナラ失策を犯している(併殺を焦ってゴロをファンブル)。当たり出すと猛打賞だがノーヒットも多かった。リーグ通算79試合出場、280打数91安打打率.325、11本塁打、40打点
その後、日本生命に進むが、遊撃手失格の烙印を押され三塁手に転向する。1995年のドラフト会議で2位指名(逆指名)を受けて読売ジャイアンツに入団し、長年主砲として活躍し前年に引退した原辰徳背番号8」を与えられた。幼いころから原の大ファンで、入団時には少年時代に懸賞で原のサイン入りバットが当選した、というエピソードが紹介された。仁志は、当時野球評論家に就任して間も無い原との対談でそのバットを見せながら「(プロ入り初打席は)このサイン入りバットで打ちたい」と発言していた(実際は使用しなかった)。プロ入り後に「巨人に入団して変わったことは」と聞かれ、「これまで「原」「原」と呼び捨てにしていたのが「原さん」に変わった」とコメントしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「仁志敏久」の詳細全文を読む




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