翻訳と辞書
Words near each other
・ 人種学
・ 人種差別
・ 人種差別主義
・ 人種差別主義者
・ 人種差別廃止に向けたバス通学
・ 人種差別撤廃条約
・ 人種差別撤廃条項
・ 人種差別撤廃案
・ 人種形質
・ 人種改良
人種熱+近田春夫
・ 人種理論
・ 人種的
・ 人種的差別撤廃提案
・ 人種移住局
・ 人種群
・ 人種虐待
・ 人種鑑別
・ 人種開発ジャーナル
・ 人種隔離


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

人種熱+近田春夫 : ミニ英和和英辞書
人種熱+近田春夫[じんしゅ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
人種 : [じんしゅ]
 【名詞】 1. race (of people) 
: [たね, しゅ]
 【名詞】 1. (1) seed 2. pip 3. kind 4. variety 5. quality 6. tone 7. (2) material 8. matter 9. subject 10. theme 1 1. (news) copy 12. (3) cause 13. source 14. trick 15. secret 16. inside story 1
: [ねつ]
  1. (n,n-suf) fever 2. temperature 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

人種熱+近田春夫 ( リダイレクト:近田春夫&ビブラトーンズ ) : ウィキペディア日本語版
近田春夫&ビブラトーンズ[ちかだはるお と]

近田春夫&ビブラトーンズ(ちかだはるお と ''Vibra-Tones''、1981年 結成 - 1984年 解散)は、かつて存在した日本のロックバンドである。ロックバンド・人種熱に、近田春夫が加入する形で組成したバンドとして知られる。正式結成前は「人種熱+近田春夫」(じんしゅねつプラス-)名義、後半は「ビブラトーンズ」名義で活動した。
== 略歴・概要 ==
1981年(昭和56年)初頭、近田春夫が福岡ユタカ窪田晴男のバンド「人種熱」に注目、アニメーション映画悪魔と姫ぎみ』の劇伴(サウンドトラック)製作に同バンドを引き込み、同年3月25日、同映画のオリジナルサウンドトラックを「人種熱+近田春夫」名義で発表する〔石川誠壱のウェブサイト「近田春夫と私 」の記述を参照。〕。
同年秋、近田は「タレント廃業ミュージシャン専念」宣言をし、結成したのが「近田春夫&ビブラトーンズ」である。結成当初のメンバーは、近田、福岡〔福岡の在籍中の名義は「土肥座円陣」、矢壁は矢壁カメオ名義であった。出典:『PINK BOX 所収ブックレット』、ワーナーミュージック・ジャパン、2013、EAN 4943674138609〕、窪田、岡田陽助横山英規矢壁篤信〔、矢野正道の7名であった〔。同年11月25日、アルバム『ミッドナイト・ピアニスト』、シングル『金曜日の天使』で正式デビューを果たす。
1982年(昭和57年)6月21日にリリースされた平山みきのアルバム『鬼ヶ島』(Invitation)を近田がプロデュース、演奏や楽曲提供に「ビブラトーンズ」名義で参加した。同アルバム発売を前後して、窪田が脱退した。窪田はサエキけんぞうらとパール兄弟を結成した〔。
その半年後の同年11月21日には、セカンドの4曲入りミニアルバム『VIBRA-ROCK』を「ビブラトーンズ」名義で発表。リリース後に矢野が脱退、爆風銃ホッピー神山を迎えてライヴ活動はつづけられた〔。半年後に、同アルバム収録曲、『AOR大歓迎』がレナウンのCMソングに採用された〔。
その一方で、福岡、矢壁、神山は、のちにPINKの前身となる「おピンク兄弟」としての活動を開始する。「おピンク兄弟」には、東京ブラボー岡野ハジメ、元爆風銃のスティーヴ衛藤ショコラータ渋谷ヒデヒロが参加、ジューシィ・フルーツ沖山優司もセッションに参加していた。1983年(昭和58年)には、「PINK」が正式に結成された〔「PINK (バンド)」の項の記述を参照。〕。近田も、同年には、デビュー以来プロデュースを手がけていたピンナップスが解散し、ともに関わっていた元近田春夫&ハルヲフォン高木英一とピンナップスのリタ(野元貴子)と3人で、新バンド・ゲートボールを結成していた〔「高木英一」の項の記述を参照。〕。
「ビブラトーンズ」は、1984年(昭和59年)1月に解散した〔。
1988年(昭和63年)10月21日、2枚のアルバムと1枚のシングル、未発表曲を集めたCDアルバム『ビブラトーンズFUN』が発売され、2002年(平成14年)4月20日2008年(平成20年)8月20日に再発売された。しかし、2008年盤には、『AOR大歓迎』のみが収録されていない〔#外部リンク内の「Vibra-Tones Fun」リンク先の記述を参照。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「近田春夫&ビブラトーンズ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.