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人形使節 : ミニ英和和英辞書
人形使節[にんぎょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
人形 : [にんぎょう]
 【名詞】 1. doll 2. puppet 3. figure 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
使節 : [しせつ]
 【名詞】 1. envoy 2. embassy 3. mission 4. delegate 
: [せつ, ぶし]
  1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point

人形使節 ( リダイレクト:親善人形 ) : ウィキペディア日本語版
親善人形[しんぜんにんぎょう]
親善人形(しんぜんにんぎょう)とは、互いの国及び人物との友好を深め、紛争を回避し、平和を維持することを目的とするべく、友情の証として贈られる人形のこと。友情人形・人形使節とも呼ぶ。交流の形式は国家レベルから草の根運動まで様々である。日本では昭和初期にアメリカとの間に繰り広げられた「青い目の人形」の人形交流を指すことが多い。
贈られた人形に対し、相手の国や人物へお礼のために贈る人形は「答礼人形(とうれいにんぎょう)」と呼ばれる。
== 親善人形を伴う交流の日本の事例 ==
日本の場合、日露戦争以降はさまざまな親睦団体が出現し、文化の面での国同士の小規模な交流が行われてはいたが、スポーツの親善試合ほどの規模の交流はまだ実現されておらず、人形交流においても大正時代にローマ法王庁雛祭りの風習を知ってもらうために雛人形を献納したり、万国博覧会に人形を出品したりするなど、日本の文化を紹介する程度で、人形交流が本格的に行われるのはアメリカからの友情人形の贈答以降になる。人形交流は太平洋戦争以前に頻繁に行われ、下記の事例の他、昭和6年(1931年)4月8日にシャム国王族に市松人形が日本の皇后より寄贈されたのをはじめ、朝鮮(1931年2月、民族間の交流として)やハンガリー1933年8月)、アメリカ及びブラジル(同12月)、フィンランド1934年11月)、フランス1935年9月)、ドイツ(同12月)・イタリア1937年12月)、アルゼンチン及びウルグアイ1939年)〔世界海運の制覇へ 七洋を馳駆する日の丸商船 明年は七百万トンだ - 大阪毎日新聞 1939年9月16日号(神戸大学 電子図書館システム)〕などに市松人形や雛人形が贈られた。しかしこの時代においては、青い目の人形を通じた交流を除き、一方的に人形を贈った向きもあり、答礼の人形を交えた形跡はほとんど見られない。
* 日米交流の友情人形
 * ''詳細は「青い目の人形」を参照のこと。''
 * 昭和2年(1927年)3月、アメリカが日本との軋轢を避けるべく、民間の慈善団体による呼びかけで、児童が持ち寄った友情人形(通称:青い目の人形)を日本に贈ることにより、日米間の友好を図った。同年暮れに日本側も返礼として各地区の代表となる市松人形(答礼人形)をアメリカへ寄贈した。日米開戦により、日本に贈られた友情人形が敵国人形とみなされ、大半が失われたものの、戦後に辛うじて残った人形の発見を経て、日米間の人形交流が継続されている。
* 日満親善の人形
 * 昭和8年(1933年)6月に36体の市松人形(この頃から日本を代表する人形使節として「やまと人形」と呼ばれた)が満州国へ寄贈され、新京などの地域へ配布された〔学童学校校舎その5 - 満洲写真館 2015年5月26日閲覧。〕。満州国へはこれ以外にも度々人形が贈られている。
* ニューヨーク・東京間の親善人形
 * 昭和10年(1935年)8月にニューヨーク市長から東京市長宛に友好の証として等身大の人形「ミスター・ミセス・アメリカ」が渡日。日本側の等身大の人形の出迎えを受けた後、日本の各地域を訪問し、アメリカへ帰国した〔『THE TRAVEL BULLETIN』ミスター&ミセスアメリカが無事日本に到着 - 日本郵船HP〕。
終戦後も様々な形式で親善人形を伴う交流が行われている。
* 平和大使人形
 * 国際児童年にあたる昭和54年(1979年)、衆議院議員(当時)・園田天光光により、児童らの1円募金や企業・法人の寄付により、「平和大使人形(大和太郎・花子)」(市松人形、一組当り50万円、計3,500万円〔第17回 JKSKサロン スケッチ - NPO法人 JKSK。〕)100体が世界100カ国に寄贈され、答礼として57カ国からそれぞれの国の人形が日本に贈られた〔『写真資料集 青い目の人形』武田英子・編著 出版:山口書店、1985年8月5日発行、ISBN4-8411-0105-3、p.55,56。〕〔世界平和大使人形の館をつくる会 〕。これらの人形は、平成25年(2013年)にオープンした『天草市天草コレジヨ館 』に展示されている。
* 横浜からの人形使節
 * 昭和58年(1983年)春、横浜市民から集められた600体余りの手作りの人形がヨーロッパ各地へ、そして翌年には北米各地域に贈られた〔横浜人形の家(調査季報第94号p.45~51、1987年6月刊行) - 横浜市政策局HP〕。横浜人形の家開館式には、人形を受け取った人たちも出席している。
* からくり人形
 * 平成17年(2005年)に九代目玉屋庄兵衛が『茶運人形』を大英博物館に寄贈した他、世界各地域にてからくり人形を披露している〔九代玉屋庄兵衛プロフィール 〕。
* ケネディ家との人形交流
 * 1962年、当時のジョン・F・ケネディアメリカ大統領に北海道北見市の一般人より雛人形が寄贈され、返礼として2016年3月1日に長女のキャロライン・ケネディ駐日米大使より1930年代のスタイルのアメリカ人形「キット・キトリッジ」が贈られた〔54年前のお礼 北海道の女性に人形と手紙 - 毎日新聞HP、2016年3月2日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「親善人形」の詳細全文を読む




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