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井上剣花坊 : ミニ英和和英辞書
井上剣花坊[いのうえ けんかぼう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [つるぎ]
 【名詞】 1. sword 
: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 

井上剣花坊 : ウィキペディア日本語版
井上剣花坊[いのうえ けんかぼう]

井上 剣花坊(いのうえ けんかぼう、明治3年6月3日1870年7月1日) - 昭和9年(1934年9月11日)は、日本の川柳作家。幼名は七郎、のちに幸一〔昭和女子大学(1973)p.228〕。
著書に『江戸時代の川柳』などがある。
== 生涯 ==
明治3年(1870年)6月3日、山口県に生まれた。家系は毛利家に仕えていたが、廃藩後に没落、父栄祐は1891年に、不遇のうちに亡くなった〔。
独学で小学校代用教員となり、のちに山口県の新聞社『鳳陽新報』(のち『長周日報』、その後防長新聞に併合されて消滅)に就職して新聞記者となった〔昭和女子大学(1973)p.229〕。同じ頃山県トメと結婚し、3人の子供を授かるも、トメは3人目出産後の予後が悪く、1898年に他界。なお井上はその3年後の1901年に岡ノブと再婚、2人の子供をもうけた〔。同じ1901年には『越後日報』に就職、主筆となった〔。
1903年7月、『越後日報』を退社し新聞「日本」に入社。ここで剣花坊の筆名で新川柳の選者を務めた。なお筆名は、山口県で「争気がある人」を「喧嘩ぼう」といったことから、自らをそれになぞらえて「剣花坊」の漢字を当てたものである〔昭和女子大学(1973)p.230〕。その後退社したものの、客員として同誌の選者を務めた。また他に『國民新聞』や『読売新聞』でも選者を務め、新興川柳の普及に努めた〔昭和女子大学(1973)pp.231-232〕。1905年結成の柳樽寺派の先達としても活躍し、「大正川柳」(のちに「川柳人」に改題)を創刊、新興川柳派を支援した。しかし同誌に掲載された鶴彬の句が治安維持法違反とされたため、同誌は廃刊に追い込まれた。
1929年からは『福岡日日新聞』『主婦之友』『中国民報』でも選者を務めた〔昭和女子大学(1973)p.234〕。
しかし1933年頃から体調不良を自覚し、翌年の1934年には軽い脳溢血を起こして右半身が不自由となった〔昭和女子大学(1973)p.235〕。1934年9月8日脳溢血で倒れ、9月11日、仮寓の神奈川県鎌倉建長寺で死去した。没後は妻の信子が後継となり、川柳誌を発行し続け、また川柳作家の鶴彬を支援した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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