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五味国太郎 : ミニ英和和英辞書
五味国太郎[ごみ くにたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (num) five 
: [あじ]
  1. (adj-na,n) flavor 2. flavour 3. taste 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

五味国太郎 : ウィキペディア日本語版
五味国太郎[ごみ くにたろう]

五味 国太郎(ごみ くにたろう、1875年1月8日 - 1922年4月28日五味国太郎 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2009年12月25日閲覧。〕)は、日本の俳優である。
== 人物・来歴 ==
1875年(明治8年)1月8日栃木県に生まれる〔。
東京に移り、1900年(明治33年)、満25歳のとき、新派高田実が主宰する「高田実一座」に入座、東京・本郷座で多く出演した〔。
1908年(明治41年)に吉沢商店が目黒に開設したグラスステージをもつ映画スタジオ・吉沢商店目黒撮影所に、1910年(明治43年)ころから出演を始める。女形木下吉之助と多くの作品で共演した。1912年(大正元年)、同社は他の3社と合併してトラスト日活を形成、翌1913年(大正2年)10月には日活向島撮影所を建設・開所し、目黒撮影所を閉鎖した〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.201-204。〕。五味は、狂言方(脚本・演出)の小口忠桝本清、セット背景画家の斎藤五百枝、俳優の関根達発立花貞二郎横山運平らとともに、向島に異動になる〔。吉沢商店でも日活でも、当時は映画にクレジットする習慣がなかったため、作品の詳細に関しては不詳である〔『日本映画発達史 1 活動写真時代』、p.274-279.〕。同年いっぱいをもって日活を退社する。
日活を形成した1社である福宝堂出身の山川吉太郎小林喜三郎が設立した天活に、1916年(大正5年)に入社、サイレント映画や連鎖劇に多く出演した。なかでも連鎖劇で演じた将軍・乃木希典で人気を博した〔。天活には1918年(大正7年)まで在籍した。1919年(大正8年)、天活は小林喜三郎が設立した国際活映(国活)が買収、1920年(大正9年)には国活の映画にも出演したが、同年、松竹キネマ蒲田に開所した直後の松竹蒲田撮影所に入社する〔。
1921年(大正10年)いっぱいで松竹キネマを退社、舞台での実演に戻るが、大阪での公演中に倒れ、1922年(大正11年)4月28日に病死した〔。満47歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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