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福宝堂 : ミニ英和和英辞書
福宝堂[ふくほうどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [たから]
 【名詞】 1. treasure 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

福宝堂 : ウィキペディア日本語版
福宝堂[ふくほうどう]

合資會社福寶堂ふくほうどう1910年7月 - 1912年9月10日 合併)は、かつて東京に存在した日本の映画会社である。日本最古の映画会社の一つであり、洋画『探偵奇譚ジゴマ』のヒット、および日活を構成する前身4社のうち1社として映画史にその名を残す。同社の直営館「第一福宝館」が、現在の国立近代美術館フィルムセンターとなったことでも知られる。
== 略歴・概要 ==

=== 設立と背景 ===
1910年(明治43年)7月、田畑健造東京市日本橋区通1丁目13番(現在の東京都中央区日本橋2丁目あたり)に設立する。田畑は、当時日本皮革(現在のニッピ)の取締役であり、同地は、田畑のおじであり日本皮革取締役の賀田金三郎がかつて所長を務めた製架機械製造所の土地であった〔『開国五十年史』、p.274.〕〔『墨田區史』。〕。そもそも日本皮革の前身の1社は、田畑の妻の実父北岡文兵衛が設立した東京製皮(設立時は弾北岡組、三井系)であり〔、2012年5月22日閲覧。〕、田畑は東京製皮の支配人から日本皮革の取締役になった人物であり、当時の住所は北岡と同一であった〔『日本紳士録 第十二版』、「田畑健造」の項(p.287)および「北岡文兵衛」の項(p.677)。〕〔『日本紳士録 第十五版』、「田畑健造」の項(p.278)および「北岡文兵衛」の項(p.663)。〕。創業時の社長(無限責任社員)は田畑、副社長は川村惇玄洋社)、経理部長は太田勇之進であった。
同社は、当時増加しつつあった映画の常設館を規制するために警視庁が設けた「1区内1館」の内規に目をつけ、「第十五福宝館」まで土地を押さえ、営業許可ごと売却しようと考えたが売却が進まなかったことから、自社で直営館を建てる事に方針転換し、第一福宝館を京橋に、第二福宝館を芝に、第三福宝館を麻布十番に、と「第八福宝館」までを建設し、興行会社として事業を始める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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