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二階堂盛義 : ミニ英和和英辞書
二階堂盛義[にかいどうもりよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
二階 : [にかい]
 【名詞】 1. second floor 2. upstairs 
: [かい]
  1. (n,n-suf) -floor (counter) 2. stories 3. storeys 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

二階堂盛義 : ウィキペディア日本語版
二階堂盛義[にかいどうもりよし]

二階堂 盛義(にかいどう もりよし、天文13年(1544年)? - 天正9年8月26日1581年9月23日))は、戦国時代武将。須賀川二階堂氏の当主。二階堂照行(輝行)の嫡男。別名は行盛(ゆきもり)。信濃守。
子に蘆名盛隆二階堂行親行久(ゆきひさ)、行栄、岩城御前(岩城常隆、後に伊達成実継室)など〔行久と行栄については「須賀川市史」などで存在を指摘しているが不明な点も多い〕。室は伊達晴宗の娘の阿南(おなみ)姫。
== 生涯 ==
二階堂照行の子として誕生。須賀川城を居城として岩瀬郡(現・福島県)を支配していた。
永禄年間(1558年1570年)になると、会津四郡(耶麻郡河沼郡大沼郡会津郡)を支配する蘆名氏や、田村郡を支配する田村氏と所領をめぐって度々戦いを繰り広げたが、永禄9年(1566年)2月に蘆名盛氏盛興父子が松山・横田両城を攻め落として横田城主を生け捕りにすると、盛義は嫡男(のちの盛隆)を人質として差し出すことで盛氏と和睦した。それ以後は蘆名氏の旗下に入った。ところが、天正2年(1574年)6月、盛氏の嫡男・盛興が早世したため、人質であった盛隆が後継者として蘆名氏を継いだ。これにより二階堂氏も蘆名氏の力を背景にして田村氏との戦いに勝利し、勢力を拡大した。
天正9年(1581年)8月に死去(38歳とも)。その後、天正12年(1584年)10月に盛隆が暗殺されると再び二階堂氏は衰退し、天正17年(1589年)10月26日に伊達政宗によって滅ぼされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「二階堂盛義」の詳細全文を読む




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