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二木謙吾 : ミニ英和和英辞書
二木謙吾[ふたつぎ けんご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego

二木謙吾 : ウィキペディア日本語版
二木謙吾[ふたつぎ けんご]

二木 謙吾(ふたつぎ けんご、1897年〈明治30年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉12月20日)は、日本政治家教育者実業家。前学校法人宇部学園理事長、元宇部興産顧問、元山口県議会議長、元参議院議員(3期)、元大蔵政務次官、元自由民主党両院議員総会長
== 来歴・人物 ==
1897年(明治30年)、宇部村(現宇部市)に生まれる。福岡県で炭鉱業に参画するが経営的には失敗し帰郷、山口師範学校本科第一部を卒業し教員に転身する。教育者としての頭角を現した二木は、公立学校長など要職を務めるうちに宇部市の教育界で信頼を得、1942年(昭和17年)12月に蔵原経智から宇部女子商業学校の学校運営を受託、同校の理事長兼校長に就任し学校経営に参入する。
戦後、二木は1947年(昭和22年)4月の山口県議会議員選挙に立候補し初当選。1期目ながら副議長に登用され、以後3選。2期目以降は議長に就任している。政界進出の一方で、1951年(昭和26年)に学校法人宇部学園を設立し、のちに宇部女子高等学校(現慶進中学校・高等学校)を中心とした学園グループを形成していくことになる。
1962年(昭和37年)の第6回参議院議員通常選挙自由民主党公認で立候補し初当選。以降参議院議員を3期務める。在職中は文教委員会委員長や大蔵政務次官など要職に就き、また七日会(田中派)顧問としても活躍。その後1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙江島淳に禅譲し、自身は政界から引退した。
1981年(昭和56年)、勲一等瑞宝章を受章〔勲一等瑞宝章受章者一覧 〕。1983年(昭和58年)12月20日、死去。享年86。従三位に叙される。告別式は宇部女子高等学校体育館で開催され、学校法人宇部学園の後任理事長には息子の二木秀夫が就任した。同学園の発展に貢献した二木を顕彰して、同校の本館玄関前には柳原義達制作の銅像が設置されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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