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二子竜功 : ミニ英和和英辞書
二子竜功[ふたご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [に]
  1. (num) two 
二子 : [ふたご]
 【名詞】 1. twins 2. a twin
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 

二子竜功 ( リダイレクト:魁ごう功 ) : ウィキペディア日本語版
魁ごう功[かいごう いさお]

魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日- )は、青森県青森市金沢出身で、1960年代から1970年代にかけて活躍した大相撲力士。現役時代は、二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した。本名は大村 功(おおむら いさお)。現役当時の体格は182cm、111kg。得意手は右四つ、投げ。最高位は西前頭5枚目(1969年5月場所、同年11月場所)。
== 来歴・人物 ==
数ある四股名の中でも、最も読めない名の一つに挙げられる。魁罡とは、「星の王様」を意味するという。
中学生時代は自動車部に所属し、運転手を志していた。しかし、自動車以上に相撲が好きであったこともあり、巡業で横綱・初代若乃花が青森を訪れた際には、自ら若乃花に入門の意志を伝えそのまま上京してしまった。そして、若乃花の内弟子のような形で花籠部屋に入門し、1960年9月場所で初土俵を踏んだ。
1962年には、引退して二子山親方となっていた元・若乃花が花籠部屋から独立することになり、山中(後の小結二子岳)らと共に二子山部屋に移籍。体重がなかなか増えなかったため三段目幕下でやや苦労したが、稽古で足腰と腕力を強化し軽量を補って行き、徐々に上位でも勝ち越せる様になっていった。
1968年5月場所、27歳で十両に昇進。同年11月場所では、西十両3枚目の地位で12勝3敗と好成績を残して十両優勝を果たし、翌1969年1月場所で新入幕を果たした。
右四つが得意であったが、小兵の体格を生かし立ち合いから低く潜り込んでも力を発揮し、小股掬いなど巧みな技を見せた。同年11月場所は自己最高位タイの西前頭5枚目の地位で迎えたが、4勝11敗と大きく負け越してしまった。本来ならば十両に陥落するような地位ではなかったが、番付運に泣かされ、翌1970年1月場所では東十両筆頭まで番付を落とされた。
以降も再入幕を目標に相撲を取り続けたが、十両の下位と上位を往復する状況が続いた。再起をかけて1971年3月場所では「二子竜」と改名したが、東十両11枚目の地位で4勝11敗という結果に終わり幕下陥落が止むを得なくなったため、千秋楽の一番を最後に現役を引退した。
引退後は直ちに角界を去るつもりでいたが、二子山親方が本人の了承を得ずに、年寄・放駒の襲名届を提出してしまった。しかし、廃業の意志は固かったため翌日には廃業した。年寄襲名期間は1日で終わり、今後も破られないであろう年寄最短襲名記録を作った。
廃業後は名古屋市内で、飲食店を経営した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「魁ごう功」の詳細全文を読む




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