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中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校 : ミニ英和和英辞書
中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校[なかぐんにじゅうろっかちょうそんくみあいりつなかちゅうがっこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [に]
  1. (num) two 
二十 : [はたち]
 【名詞】 1. (1) 20 years old 2. (2) 20th year 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 
十六 : [じゅうろく]
 【名詞】 1. 16 2. sixteen 
: [ろく]
  1. (num) six 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
町村 : [ちょうそん]
 【名詞】 1. towns and villages 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [くみ]
 【名詞】 1. class 2. group 3. team 4. set 
組合 : [くみあい]
 【名詞】 1. association 2. union 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
中学 : [ちゅうがく]
 【名詞】 1. middle school 2. junior high school 
中学校 : [ちゅうがっこう]
 【名詞】 1. junior high school 2. middle school 3. lower secondary school 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof

中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校 : ウィキペディア日本語版
中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校[なかぐんにじゅうろっかちょうそんくみあいりつなかちゅうがっこう]
中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校(なかぐんにじゅうろっかちょうそんくみあいりつなかちゅうがっこう)または金目村外二十六カ町村組合立奈珂中学校は、神奈川県中郡大根村秦野市)にあった公立旧制中学校であり、中郡六カ町村組合立育英学校の後身、神奈川県立秦野高等学校の前身である。
== 歴史 ==
1872年(明治5年)4月の元小田原藩藩校県学校文武館の閉鎖を契機とする同年4月の共同学校の創立、1874年(明治7年)11月の同校の廃止とそれに伴う小田原師範学校への改称、1876年(明治9年)6月30日の同校内の中等科設置、1879年(明治12年)5月24日の横浜師範学校への統合による小田原師範学校の廃止、1879年(明治12年)10月の足柄上郡足柄下郡大住郡淘綾郡津久井郡愛甲郡による六郡共立小田原中学校の創立と旧師範学校施設の引き継ぎ、1880年(明治13年)2月の津久井郡脱退による五郡共立小田原中学校への改称、同校の大住郡への移転問題に起因する1884年(明治17年)7月の同校の廃校、1886年(明治19年)5月、大住郡、淘綾郡、足柄上郡が同校を大住郡金目村へ誘致したことによる三郡共立学校の創立、1896年(明治29年)4月の大住郡、淘綾郡合併(中郡となる)による二郡共立学校への改称、1898年(明治31年)4月、足柄上郡脱退による中郡共立学校への改称〔秦野高等学校公式サイト・概要・1.沿革 によると、中郡共立学校への改称は1896年(明治29年)であるが、神奈川県立秦野高等学校『秦野高等学校史』(ぎょうせい、1986年)巻末年表にしたがった。〕、1900年(明治33年)3月の郡制改正施行による中郡立中郡学校への改称、国の実業教育政策に応じる形での1902年(明治35年)4月の中郡立中郡農業学校の開校、1908年(明治41年)4月、同校の平塚町達上西畑向原移転による神奈川県立農業学校(神奈川県立平塚農業高等学校の前身)の開校、なおも存続中の郡立農業学校を中郡有志が引き継ぐための、1909年(明治42年)3月の私立育英学校の創立、1923年(大正12年)4月の郡制廃止と同年9月の関東大震災による校舎全壊に起因する経営困難に対処するための1924年(大正13年)4月の大根村土沢村、金目村、旭村金田村秦野町の六か町村による中郡六カ町村組合立育英学校の創立、同年12月の組合への参加町村増加による中郡二十六カ町村組合立育英学校への改称、以上の経緯により本校は以下の経緯で創立された。
町村組合は1925年(大正14年)5月16日に認可され、事務を開始した。この組合設立の目的は中郡北部に5年制中学校を設立することであったため、1926年(大正15年)3月4日、「奈珂中学校設立認可」が下り、同年4月、本校が大根村大根小学校講堂を仮校舎として開校し、育英学校は発展的解消となった。
その後、本校は以下の経緯をたどった。同年9月6日、大根村より無償で提供された校地に新校舎が竣工し、本校は同村下大槻広畑に移転した。1929年(昭和4年)、校名を神奈川県奈珂中学校と改称した。1930年(昭和5年)頃から経営が困難となり、1932年(昭和7年)11月の大暴風雨はこれに拍車をかけた。このような中、同年中に本校を県立に移管することが学校組合会で決議され、県へ「神奈川県奈珂中学校移管願」が提出された。そして1935年(昭和10年)4月より本校を県へ移管することが条件付で決定されたが、県への移管条件の一つ県立盲唖学校寄宿舎建設費として15,000円を中郡盲人学校設立者が負担することの充足が問題となった。この条件を充足させるため、平塚市が6,500円を分担することに同市議会が反対したのだった。これにより4月の県への移管は延期となった。県への移管は同年11月1日になされ、これを以て神奈川県立秦野中学校が創立された〔以上は、秦野高等学校史・前掲・4-133頁、小田原高校公式サイト・学校沿革 平塚農業高校公式サイト によった。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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