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三遊亭一圓遊 : ミニ英和和英辞書
三遊亭一圓遊[さんゆうてい いちえんゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [いち]
  1. (num) one 

三遊亭一圓遊 : ウィキペディア日本語版
三遊亭一圓遊[さんゆうてい いちえんゆう]
三遊亭 一圓遊(さんゆうてい いちえんゆう、文久元年5月14日1861年6月21日) - 没年月日不詳・大正末)は、落語家。本名は滝梅三郎。
初めは「常磐津大隈太夫」と名乗っている。明治20年代末に初代三遊亭圓遊門下で遊楽を名乗った後、1900年4月に一圓遊と改名。
1902年6月に拠点を大阪へ移して「三友派」に属し法善寺紅梅亭に出演をきっかけに大阪で活動を続ける。1911年2月に、初代圓遊の遺族の若柳流2代目家元若柳吉蔵(元三遊亭清遊)の許しを得たと称して「2代目三遊亭圓遊」を神戸で名乗り、東京へ「新派三遊組合頭取」と称して同年10月に東京で襲名披露を行なう、これを見て慌てた2代目三遊亭小圓遊(前名:三遊亭左圓遊)が、1912年4月に2代目圓遊を襲名。元一圓遊の「大阪圓遊」と、元2代目小圓遊の「東京圓遊(江戸圓遊)」の2人の圓遊が出現する事態が生じた。芸の上では「東京圓遊」よりも元一圓遊の「大阪圓遊」の方が優れていたという。4代目橘家圓喬の仲介によって、「大阪圓遊」は東京・京都・大阪の三府では圓遊を名乗らないと誓約して一圓遊の名に戻り、大阪に帰った。また一時三笑亭可楽を襲名を目論んだ時期もあったがこちらも6代目三笑亭可楽(中村勘三郎)から苦情が来て名乗れなかった。
しかし1912年9月には、「浪花大正派」が結成された際に再び「2代目三遊亭圓遊」を名乗った。東京ではこの改名は認められなかったものの、以後上方では終生圓遊で通した。1921年10月の連名に見えるを最後に消息不明。その頃没したと思われる。
常磐津出身だけあって音曲に秀で常磐津林中の再来とまで言われた。
== 参考文献 ==

*古今東西噺家紳士録


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「三遊亭一圓遊」の詳細全文を読む




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