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三菱ダイヤモンド・サッカー : ミニ英和和英辞書
三菱ダイヤモンド・サッカー[みつびしだいやもんどさっかー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
三菱 : [みつびし]
 (n) Mitsubishi (company)
ダイヤ : [だいや]
 【名詞】 1. (1) dyer 2. (2) diagram (abbr) 3. (3) (railway) schedule 4. (4) diamond (abbr) 5. , (n) (1) dyer/(2) diagram (abbr)/(3) (railway) schedule/(4) diamond (abbr)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

三菱ダイヤモンド・サッカー : ウィキペディア日本語版
三菱ダイヤモンド・サッカー[みつびしだいやもんどさっかー]

三菱ダイヤモンド・サッカー(みつびしダイヤモンドサッカー)は、1968年4月から1988年3月、1993年4月から1996年9月の2期に渡り東京12チャンネル→テレビ東京で放送されていたサッカー情報番組である。
三菱重工三菱商事三菱銀行(後の三菱東京UFJ銀行)を中心とした三菱グループ単独提供による冠スポンサー番組。週によってコマーシャルを提供する協賛企業は一部異なっていた。また第1期末期には理研グループ・三愛会傘下(三菱グループ直系ではないが三菱銀行からの出資を受けていた)のリコーやスポーツ用品メーカーのプーマが、第2期の一時期は三菱グループ外のソニーが各社扱いで提供したことがあり、ソニービル内のSONYショールームから公開放送したことがあった。
== 第1期 ==
1968年英国放送協会 (BBC) のサッカー情報番組『』を日本語版に翻訳して、司会に金子勝彦(当時・東京12チャンネルアナウンサー)、解説に岡野俊一郎を起用して放送したのが始まりである。また、当初のタイトルは「イギリスプロサッカー」だった〔テレビ東京の歴史|テレビ東京 新卒採用2012:テレビ東京 〕〔『「ダイヤモンドサッカー」の時代』〕。
三菱商事社員でロンドンで勤務していた諸橋晋六(後に三菱商事会長)が、東京12チャンネルの番組審議委員を務めていた篠島秀雄(当時三菱化成社長、日本サッカー協会副会長)に対し「日本でも『マッチ・オブ・ザ・デイ』のような番組が必要だ」と進言し、それを受けた篠島が局側に番組制作を提案したことが番組スタートのきっかけとされる〔履歴書 p.391〕。また、解説に岡野が起用されたのも、篠島が東京大学運動会ア式蹴球部の後輩である岡野に白羽の矢を立てたことが理由である。
内容はヨーロッパの国内リーグ戦やA代表による国際親善試合やFIFAワールドカップ予選などを前後半2週に分けて放送。1980年代サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ) でプレーしていた奥寺康彦の出場試合も随時放送していた。また1980年代以降、タイトルロゴ上部には「日本サッカー協会推薦番組」の文字が添付され、製作協力としてベースボール・マガジン社の『サッカーマガジン』の名もクレジットされていた。
1974 FIFAワールドカップを全試合放送。決勝の西ドイツオランダ戦は、他局では参院選の開票速報の最中にも関わらず、生中継して視聴率は3.7%だった〔2006年6月25日朝日新聞「(天声人語)金子勝彦さんとサッカーW杯」〕。低迷期にあった日本サッカーに海外のサッカーを紹介する窓口としての役割を果たした。金子・岡野の名コンビ、また金子のオープニングの口上である「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」も人気を集めた。1960年代後半から1980年代後半のサッカー少年たちのバイブル的番組でもあった。
また、三浦知良の父・納谷宣雄1982年ブラジルに渡った後、納谷の仲介で南米の試合も放送できるようになったという〔2006年9月7日付け日刊ゲンダイによる〕。1988年3月で一旦終了、放送回数は993回だった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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